世子様に見初められて~十年越しの恋慕


顔を伏せた状態で室内の様子を窺い始めた、その時。
部屋の奥にいる男性の落ち着いた声音が、耳に届いた。

「もっと近くに」

男は双眸を細め、顎髭に指を添えながらソウォンを見据えている。
ソウォンは男のそばに静かに歩み寄り、無意識に生唾を飲み込んだ。

「座りなさい」

ソウォンは呪文で操られるかのように男の言うがままに腰を下ろすと、

「大提学の娘だな?」
「ッ!?………」

ソウォンは息を呑み、物凄い速さで思考を巡らせる。

声色からして、自分が何者かを全て把握している。
しかも、恫喝しているようには聞こえない。
何故か、男の声音で安心感のようなものを一瞬感じたのだ。

小屋から助け出してくれた先程の者の素振りからしても、目の前のこの男性も手荒な真似はしないだろうと踏んだのだ。

だが、何故か何とも言えぬほどの緊張感に襲われる。

「そなたに渡したい物がある」

男がそう言うや否や、ソウォンの目の前に小さな棒状の物が置かれた。
黒光りしており、何やら細かい模様が彫られている。

「次に会う時、恐らくそれが必要になるだろう。それまでの間、誰にも知られずに持って居られるか?」

射竦めるような鋭い視線に、出来ないとはとても言えない。

「………はい」

消え入りそうなほどの弱々しい声。
今にも口から心臓が飛び出そうなほど、ソウォンの鼓動は早鐘を打っていた。
ソウォンが震え気味の指先でそれを手にすると、男はゆっくりと腰を上げ、双眸を細めソウォンを見下ろす。

「その痛みを耐えるとはな」
「ッ!?」
「手当てしてやれ」
「承知しました」

鼻で笑うかのようにして男はその場を後にした。


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