世子様に見初められて~十年越しの恋慕
第六話 密なる逢瀬


「お嬢様、顔色が優れませんが、あまり眠れなかったのでは?」


明朝辰時(チンシ:午前七時から九時)の刻、チョンアが煎薬を手にして現れた。
ソウォンは鏡台に向かい、千両の実が珊瑚で出来た愛らしいコチ(小さめの簪)に指先を這わせ、溜息を一つ。
チョンアが心配するのも無理はない。
だって―――


高麗人参の買付けに出向いた先で、ひょんなことから世子様とその率いる親衛隊と遭遇し、更には好奇心旺盛なことが仇となり、世子様の尊い命まで危険に晒してしまった。
世子様の命を救ったまでは良かったのだが、それが思わぬ方向へと……。

世子様の計らいで、漢陽の屋敷まで無事に着くことが出来たソウォンだが、別れ際に告げた一言で、ソウォンの心は落ち着きを失った。
どういう意味で告げられたのか。
ただ単にソウォンの体調を気遣って、様子を見に来るだけなのか。
それとも、他に何か理由があるのか。

世子様には正室(正妃・嬪宮)がいる。
その昔、自ら世子嬪揀擇に申請したくらいなのだから、ソウォンも承知の上。
だが、血気盛んな青年が、生涯一人の女性で満足出来るとは言い切れない。
実際王族でなくとも、側室を設ける男性は多い。
それは、身分が高ければ高いほど既知の事柄というもの。

ソウォンは考えに考えを巡らせ、自分に好意を寄せて下さったのではなく、ただ単に体調を気遣っての訪問だと言い聞かせていた。
けれど、そう簡単に心の整理がつかないのが、乙女心。
初めて逢ったあの日から、何度も胸を高鳴らせた相手だけに、決して許されないと分かっていても淡い期待を抱いてしまう。


何時おいでになるか分からない為、昨夜は子時(チャシ:午後十一時から午前一時)の刻頃まで起きて待っていたのだ。
それも、普段は念入りに化粧などしないソウォンが、少しでも女性らしい姿を見せたくて。
夜だと分かっていても、着飾らずにはいられなかった。

だが、結局、ソウォンのもとに世子様は現れなかったのだ。



< 82 / 230 >

この作品をシェア

pagetop