青野君の犬になりたい
ちょうどお昼過ぎに社内ミーティングを終えた青野君と私は、デスクに財布だけ取りに行き、
そのまま一緒にランチにでた。
ささっと食べられるうどん屋で、本当にささっと食事を終えて店を出た。
オフィスに戻る途中の信号を渡っていた時、後ろから走ってきた男性に肩を強くぶつけられた。
夏の青空がぐるりと揺れて、あ、転ぶ、と思った瞬間、私は青野君に抱き留められていた。
「葉山さん、大丈夫ですか?」
青野君が私の顔を覗き込む。
これまでにない至近距離。
私の腰を支える彼の指は骨っぽくて力強かった。
そのときだ。
脳内のどっかにある何かが小さな弾丸のように心臓を撃った。
ひゅん。ズン!
ときめいた。全く予想外に、青野君にときめいた。
落ちたのか、恋の穴に――。
どきどきしている私に青野君はもう一度「大丈夫ですか?」と声をかけ、
少し心配そうな顔を見せた。
「大丈夫。ありがとう」というと、彼の指が私の腰から離れた。
信号がちかちかと点滅し始めた。
「あ、変わる!」
青野君が私の手を引いて走り出す。
骨ばった指の感触が、今度は私の手を包む。
29歳にもなってなんだけど、手をつなぐって私にとっては日常的なことではなくて、
結構ドキドキする特別なことだった。
でも青野君は自然に私の手をとり、横断歩道を渡りきるとまた自然にするりと放した。
「食後に走るのはよくないですよね」なんて胃の辺りを抑えながら。
彼にとっては特別感など砂糖のかけらほどもない自然なことなのだ。
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