貴方が手をつないでくれるなら

「手、貸して?」

「え?…は、い」

部屋を出てマンションの前の歩道を歩いていた。冬程の寒さは感じ無い。まだ温まり切らない、少しひんやりとした、清々しい空気だ。
声を掛けられ返事をすると、片手をスウェットのポケットに入れられた。…あっ。

「上着が無いな。寒くないか?」

肩を摩られた。わっ。

「は…はい、大丈夫です。く、空気が気持ちいいです」

「フ。…そうか」

あっ。ポケットの中で手を握られた。

「朝ご飯、何作るんだ?」

「え?あ、はい。今朝は、ご飯です。あ、ごめんなさい、えっと、和食です。焼き魚とか玉子焼きとか、いつも定番です。パンの日とご飯の日を適当に交互にしてます」

「そうか。…羨ましい」

「え?」

「俺は朝食べないから。もうずっと習慣だ。珈琲を飲んで煙草を吸う」

「大丈夫なんですか?身体、健康ですか?」

「フ…さあ、どうだろう。取り敢えず生きてるな。解ってはいても朝飯に限らず、まともに食べない事が多いからな…」

「うちの兄は、毎朝、食べてます」

「だろうね」

「はい」

何だか、最初に会った時の柏木さんみたい…。失礼な人って思った印象のその部分ではなく、乱暴ではなく、上手く言えないけど、男の人、って感じの方の柏木さん。

「ん?」

あ、黙ってると、色々穿鑿してるように思われるかな。

「あ、ランニングって、ずっとしてるのですか?」

「ずっとじゃない。最近、鈍ってるからしてる」

あ、そういえば、シャワーから出て来た時、前を通ったけどあまりにも素早くて背中側しか見えなかった。着る為に戻る時も、不自然にならない程度で衣服を前に持っていた。あれはきっと、傷痕を私に見せないようにしていたんだ。まだ、見るからに傷痕が痛そうだからなんだ。きっとそうだ。

「一緒に走るか?」

「え?あ、それは無理、無理です。足手まといになるというか、最初から無理です。できても早歩き程度、それも長くは無理だと思います。私には散歩くらいが丁度いいです」

「そうか」

益々言葉数が少なく簡潔になって来た…。これが普段の柏木さんなのかな。でも、ペラペラ饒舌過ぎないところがいいような気がする…。これは柏木さんだから、かな…。



そろそろ家が近づいて来てる。もっともっとこの道が延びたらいいのに。…あ、…私、何を思ってるんだろ。

「着いたな」

「…はい」

ポケットから手を出された。ずっと温かかった。

「入れるかどうか、確認して?」

「…え?あ、はい」

ノブを回してみる…開いていた。

「大丈夫です、開けてくれてます」

「…そうか、良かったな」

「はい…」

…。

「……日向」

は、い?え?今、なんて…?心臓が跳ねた。確か、日向って…。柏木さんの声だった。
お兄ちゃん以外の男の人から、日向なんて呼ばれた事が無かった。
近づいて来た柏木さんは何も確認せず私を抱きしめた。

「…はぁ…、また連絡する。次はこんな風には帰したくないから、そのつもりで。お兄さんに直接挨拶もせず帰って申し訳ない。…じゃあ」

「は、い…」

離れると、少し間があって走って行ってしまった。………こんな風にって。次は…どんな…風?
…ぁ…な、に、今の…。年上の男の人って、…何だか、凄く、…濃い男の人だ。……はぁ。

…。

あっ、いけない。朝ご飯の仕度をしないと。…お兄ちゃん、起きてるよね。
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