ミステリアスなユージーン
思い出すな、思い出すな私!あれはもう過去の出来事でこの先有り得ないのだ。

駅から自宅までの道のりが進むにつれて人の数が減り、やがて追い抜かされることもなくなる。

完全にひとりになったマンションの花壇の数歩手前で、私は肩にかけていたバッグを下ろして開いた。

その時、

「菜月」

「わっ!」

植え込みの中のライトに照らされた人物に、私は気づくのが遅れた。

花壇の角に誰かが腰を掛けていても、背の高い植木が邪魔をして見えないのだ。

「課長、どうしたんですか?びっくりするじゃないですか」

胸を撫で下ろしながらこう言った私を、課長は少し笑って見下ろした。

それからスラックスのポケットに両手を突っ込み視線を落とす。

何か言おうとして思案する時の課長の癖だ。

「今朝は……あまり話せなかったから」

私は立ち止まったまま、課長から目をそらした。


『あれが課長の口実だと分からないんですか』

『ズルズルしますよ?ここで断ち切らないと』


佐渡君に言われた言葉が胸に蘇り、私は再び課長を見上げるとニッコリと笑った。
< 48 / 165 >

この作品をシェア

pagetop