金木犀の季節に
防災無線のチャイムが海沿いの田舎町に午後五時を告げる。
思わず私はその音色に合わせて口ずさんだ。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われてみたのはいつの日か」
この曲を聴くとどんな時でもほっとする。
バイオリンケースを片手に、夕暮れの喧騒から少し離れた一車線の道をゆっくり歩く。
同じ景色を見ているはずなのに、行きと帰りでは感じ方が全く違うなんて。
人間は面白いなあ。
風が吹いて、すぐそこに見える相模湾の水面が揺れたとき、思わず足を止めた。
どこからか、マスネ作曲の『タイスの瞑想曲』が聞こえてきたからだ。
優しいバイオリンの音色が茜空に音符を並べて楽譜を描く。
その金色(こんじき)の五線譜に促され、自然と体が動いた。
振り返ってすぐの錆びた階段を駆け上ってたどり着いた高台の、その向こう。
どんな人が弾いているのだろう。
何を思って弾いているのだろう。
音が大きくなるにつれて、胸の鼓動は早まるばかり。