金木犀の季節に
彼の演奏に包まれたとき、私は時が止まったかのように感じた。
夢と錯覚してしまうくらい綺麗な音。
そのひとつひとつが心の琴線に触れて、眩暈さえ憶えた。
これが、「感情のこもった心に響く音」なんだ。
「どうしたらこんなに綺麗な音が出るんですか?」
思ったことがそのまま言葉になって思わず口を噤む。
「ごめんなさい。いきなり図々しいですよね」
目と目が合う。
彼の瞳に、涙のようなものが一筋、輝いているように見えた。
しかし、そんなことを思わせないほどの爽やかな声と笑顔が背の高いところから降ってきた。
「君も提琴を弾くのか?」
やがて彼の視線は私のバイオリンケースへと注がれる。
その様子をみて、提琴というのが何を指すのかわかった。
「はい。そんなにうまくはないんですけど」
あんなにも素敵な演奏をする人に自分のことを話すのは少し恥ずかしい。
「君の演奏が聞きたい」
日に焼けた端正な顔がぎゅっと近づいてきて、思ったよりも頬が熱い。
「ダメかな?」
はじめは断る気が満々だったのに、断れなくなって頷いた。