金木犀の季節に
「藤井花奏……?」
何度目をこすってみても、その文字は変わらない。
「え、先生……。私、本選に出られるんですか……?」
「そうよ。このコンクールは感情的に弾く人が受かりやすい傾向にあるの。今日の花奏ちゃん、すごく素敵だったわ」
「ありがとうございます」
先生に褒められたことがすごく嬉しくて、にやけてしまう。
そしてもうひとつ、本選進出者のところに名前があった。
「高橋 真冬(まふゆ)……」
私はこの人と戦うのか、と思うとどんな人か気になった。
「俺はまふゆじゃなくて、真冬(まこと)!」
振り返ってみると、そこには『序章とロンドカプリチオーソ』を弾いた男の人がいた。
「よく読み間違えられるんだよね」
フレンドリーな感じが、誰かと似ている。
「それじゃ、本選で会おうね」
そう言うと、彼は嵐のように現れて嵐のように消えていった。
次の楽章が始まる。
奏汰さんと過ごした日々が主題の、左胸がテンポを刻む、青い色をしたさわやかな楽章が。
「先生、さようなら!」
「お疲れ様! おめでとう」
会場の自動ドアから外に出ると、冷たい風を肌に感じた。
季節は変わっている。
でも、それを悲しみだとか、別れだとか。
そういうふうにはもう思わない。
「奏汰さん」
涙を吹いて、名前を呼べば、いつだってそこに新しい音が生まれるはずだから。