仔猫 VS 僕
「バカ」
「はい?」
「聞こえなかった? バカって言ったの」
「そうじゃなくて、意味がわからないから聞き返したんだ」
少し怒声を上げれば、紗綾さんはそっと僕から離れた。
「こっち、見ちゃダメ!」
すぐに入る制止の声。
背後にカノジョを感じるまま、僕はその体勢を強いられた。
「柚ちゃん、本当にわからないの?
私が前に教室まで迎えに来なくていいって言った理由も、さっき怒っていた理由も。本当にわからないの?」
「……」
当たらずも遠からず。
そうだったらいいな、と思っていた。
そうだったら、すごく嬉しい。
期待を兼ねて、僕は慎重にその言葉を口にした。
「ヤキモチ、ですか」
カノジョがもう返事をできないことを知っていたから、今度は許可を得ずに振り向いた。
「紗綾、おいで」
僕は両手いっぱいにカノジョを抱き締めた。
愛しさが溢れる瞬間だった。
「わかってたんなら、どうして教室まで来りしたのよ」
ぐず、と鼻を啜りながら紗綾さんはぼやいた。
「お陰で、私の努力が水の泡じゃない」
ぽろっと失言らしきものを溢した紗綾さん。
珍しくあたふたしていた。
「努力ってなに?」
「や、だからさ……あれだよ。あれ」
「全然わかんない」
「……ほらさ、あのいつもの!」
いつまで続けるつもりなのか、ごまかすつもりがそもそもあるのか、紗綾さんは苦し紛れに結論を引き延ばしにした。
「で? なに?」
面白いから少し野放しにしてみたけれど、やっぱりそんなには持たなかった。
「僕もいつまでも待てるわけじゃない。紗綾さんの挑発に、そろそろストレスが溜まってきてるんですよ」
本当のことだった。
僕は今日のお昼休みに、もう限界を迎えていた。毎日毎日繰り返される、紗綾さんからの挑発。
煽って焦らして、挙げ句取り上げられる。
そんな日々。
今日の僕の目的は溜まった鬱憤を晴らすこと。
つまりは、紗綾さんを抱きたい。
ただそれだけだった。
僕の本気を悟ったのか、カノジョは陽気な口をとうとうつぐんだ。
それは本音を吐露する合図。
「私だって、余裕がないんだから。柚ちゃんのカノジョでいたくて、とられたくなくて、これでも精一杯頑張ってるんだよ」
「うん」
「みんなの前でイチャイチャしたら、柚ちゃんは私のものだってわかってもらえるでしょう? だからいつもーー」
その先の言葉はもう必要なかった。
僕は言葉ごと、カノジョの唇を奪った。
息つく間も与えないくらい貪りついた。
潤んだ瞳、紅潮した頬。
口角から首筋に流れた二人の唾液を僕は舌で、わざとゆっくり辿った。
「んっ……」
期待した通りの反応に、今度は僕が満足する番だ。
「ゆ、柚ちゃん!」
首筋のよく見える位置に意図して残すのは、僕のものだというキスの印。
赤く染まるその印以上にカノジョは真っ赤になりながら、声を上げた。
「ダメじゃん! 見えないところにするって約束だったじゃない」
「本当に嫌なの?」
「柚ちゃん……」
「みんなの前でイチャイチャするより、こっちの方がよっぽど効果的だと、僕は思うけど」
“試してみればいいんじゃないですか?”
僕はなんてことないように、にっこり笑顔で提案した。
「性悪柚ちゃんめ」
僕の頬をつねろうと伸ばしてきたカノジョの手を、そっと制すると僕は本題に入った。
「紗綾さん。今日、確かバイトはお休みでしたよね」
「うん。ないよ」
「だったら、いいよね?」
「いいって何が……」
カノジョの体が強張るのを見て、僕はほくそ笑んだ。
「わかってるくせに」
「あのね、あまり年上をからかわないの」
怒って返事をはぐらかそうとするカノジョに対して、僕は真っ向から返した。
「僕は紗綾さんと違って冗談は言わない。
僕の家、来てくれますよね」
「……」
「まだ、わかりませんか?」
わざとらしく盛大なため息を吐き出してから、僕は紗綾さんの耳元に口を寄せた。
“あなたを抱きたいって言っているんですよ”
これならもう、逃げも隠れもできないですよね。
今までのツケをしっかり返さないとな。
今度は僕が、ね。
(おしまい)