意地悪な彼の溺愛パラドックス
ひたすらうつむく私の肩を、柏木さんの手がポンと軽く叩いた。
これはお説教が終わりの合図。
そしていつも最後に「がんばれ」とひと言、短い激励を受ける。
「もっとタフじゃないと店長なんてできないぞ。あんまり思いつめるな」
「……え?」
(あれ? いつもと違う)
意外な言葉にしっくりせず顔を上げる。
すると、まるで心配そうに眉間にしわを寄せる柏木さんの表情に私は目を丸くした。
何度か瞬きしてみても変わらない初めて見る彼に、驚きのあまりこらえていた涙は引いていく。
そして口調に厳しさの消えた彼は、やわらかな声色でフランクに問いかけてきた。
「ちゃんとメシ食ってる?」
「めし?」
「マジで倒れるぞ? ずっと体調悪いだろ」
「いえ、はい。あの、大丈夫です。え?」
自分がなにを言っているのか謎だった。
しかしそれよりも謎なのは、なんだか突然優しい彼だ。
首を傾げながら「本当に大丈夫かよ」と、片手を私の頬に触れる近くまで寄せ、触れずに離れる。
その手をポケットに突っ込み、柏木さんはここで待つように私に念を押してから、ため息とともに事務所を出ていった。
シンとした事務所の中央で呆気に取られ、ひとり直立したままぼうっと天井を仰ぐ。
いつの間にか切れかけていた蛍光灯が、チカチカと点滅し目をくらませた。
「あぁ、あとで交換しなくちゃ」
誰か気づいたらやってくれてもいいのにと、そんなことをぼんやりと考えながら、この一ヶ月間スタッフに対しても毅然としていなかったのかもしれないと、どこか逃げ腰だった自分を振り返った。
柏木さんにずっと言われてきた「店長らしくない」というのは、こういうことなのだろうか。
彼は遠慮なく私を叱るけれど、思えばその言葉は案じているようにも取れた。
もしかして、私が意固地になって認めなかっただけなのか?
だとしたら。
そうだとしたら、私はずっと彼を誤解していたのだろうか。
込み上げてきた涙に慌てて目尻をこする。
しばらくしてノックされた事務所のドアを開けると、少し息を切らした柏木さんだった。
「ほれ」
「コンポタ?」
差し出された黄色い缶を受け取り、その温かさを手の中で転がす。
心の中がホッとするような、じんわりと包み込まれるような。
きっと雪山で遭難中に救出されたときの毛布はこんなふうに温かい。
あたたかいと、人は涙がこぼれるらしい。
柏木さんはこんな私を見て「えっ」と息をのんだ。
今度は彼が目を丸くして瞬きしている。
両手で握りしめた温もりも彼と交じり合った視線も、私は離すことができない。
ポロポロと一粒ずつ頬を伝う涙を、下唇を噛んでこらえようとした。
彼は気まずさからか、困ったように頬を染めて首をかく。
「まぁ、責任感が強いのも努力家なのも、いいことだと思うけど。……もう少し、強くなれ」
「っ、ぁい」
彼の気遣いがうれしい。
けれども、答えようと勢いまかせにした返事は間抜けすぎて、すごく格好悪かった。
柏木さんはそれにハハッと笑いながら「もっと肩の力抜いとけ」と、私の肩をポンと軽く叩く。
今までのこの動作はそういう意味だったということも、言葉に優しさが込められていたことも、知らなかった。
彼は苦笑いしながら片手を私の頬に寄せて、今度は躊躇わずに指先からゆっくり触れる。
そして親指をすべらせ、静かに目もとの涙を拭って言った。
「違うな。ごめん、そうさせなかった俺のせいだな」
「そんなことっ!」
私は頬にあった彼の手を、コーンポタージュといっしょに握りしめて、めいっぱい首を左右に振った。
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