意地悪な彼の溺愛パラドックス
ガコンガコンと落ちる音がした後に、戻った彼の手には黄色と黒色の缶。
私の前に立った彼から「ほら」と、差し出された黄色い方を受け取り手の中で転がしていると、あの日を思い出す。
初めて好きだと思ったあの日は、雨上りの虹が綺麗だった。
そして挫けそうな今も、私を支えている虹がある。
「私の強さの秘訣」
私は彼を見上げて、そのうしろを指差した。
振り向いた彼に上を見るよう頼むと、応えた彼が「あっ」と小さく声をあげる。
天を仰ぐと吹き抜けの隙間から見える、七色のライン。
ここはレインボーキャッスルがあるすぐ下の階で、入口の虹と乱反射するゲームの光が幻想的な光景を作っていた。
子供のとき初めて見た虹は私のルーツのようなものだから、迷ったり落ち込んだりしたら、よく似たここで原点回帰というかリフレクションするのだ。
「あの虹を見ていると、なんだか元気が出るんです」
私は弾ける光に恍惚としながら、わずかに口角を上げた彼の隣に三十センチの空間を作りそっと立つ。
そこには、越えてはいけない一線を隔てた。
「綺麗だな」
「でしょ? 吹き抜けもいい感じに夢幻的で、虹のふもとにいるみたいですよね」
「うーん。それもそうなんだけど」
眉尻を下げて笑った彼は、次の瞬間私の引いた一線を軽やかに飛び越える。
「かよ、が。綺麗だと思う」
「え?」
「お前のそういう強いところ、すごく好き」
あぁ、とうとう狂ったか。柏木遼。
なんて頭の片隅では考えるが、私は瞬きすらできずにいる。
サラッと後頭部の髪を縫って入り込んだ温かな指先に、ただただ目を見開いた。
空を見続けるだけの私に身体を向けた彼は、もう片方の手を私の背中に回してやわらかに引き寄せる。
囚われるように抱きしめられて、埋もれたのは煙草が香る胸の中。
もう視界には彼のぬくもりしかない。
心臓が重低音のように時を刻む私の長い髪をすきながら「困ったな」という彼の低い声が響いた。
「お前が言ったように守りたいものはある。でも、我慢できないこともある」
「……っか、柏木さん?」
私の掠れた声に笑みをこぼした彼は、指先を髪から頬へすべらせる。
それは驚きと戸惑いと絶望と、期待。
「嫌なら殴っていいよ」
そう言って背中に回されていた手も頬へとすべり、両頬が包み込まれる。今までのように、涙を拭うためでも温めるためでもない。
私のためにうつむいた彼の前髪が、ハラハラと揺れて目もとを隠す。
表情もわからないくらい近づいた距離に、心の中の天使と悪魔は競り合い混迷した。
「か、しわ……」
待って、ヤメテ。
ダメだと言いたいのに、声が出ないのはなぜだろう。
殴ってやりたいけれど、できないのは、嫌じゃないからだ。
お願い、今だけ誰も見ないで。
一秒にも満たない時間の狭間に、堕ちただけだから……。
(好きなんだもん。敵うわけないじゃない)
息をつく間もない一瞬に、優しくてやわらかくて、幻みたいな唇が私の思いを踏みにじって重なった。
好きだからうれしかった。
好きだから、切なくて苦しくて、涙がこぼれた。
ふたりの吐息があふれると、私のゆがんだ視界は彼を捉える。
彼の熱のこもる眼差しが複雑に揺らめいたのは、私の涙を見たからだろうか。
柏木遼はもっとクレバーな人だと思っていたが、私の買い被りだったらしい。
こらえきれない涙が次々にこぼれ落ち、顔をゆがめた私を見て心苦しそうに一歩下がり言った。
「ごめん」
私は名残惜しさとともに、離れたぬくもりを睨む。
彼は家族を大切にしていたはずだ。
だからこそ、私はその笑顔を守りたいと思ったのに。
「俺、お前が好きでどうしようもない」
振り絞るような彼の告白に、灼熱の炎がドロドロと私の軸を溶かしていくよう。
しかし、それだけは見せまいと顔を背けてゴシゴシと目をこすり、私を惑わし陥れようとしてくる浮気者を拒絶した。
「そんなのダメです! こんなんじゃ、大切な人を守れないですよっ」
そう叫んだときの傷ついた彼の表情は、思わず抱きしめたくなるほどだった。
けれども、彼の大切な人たちの笑顔が頭をよぎる。
これ以上なにも見たくも聞きたくもなくて、私は身をひるがえし真っ暗な出口に向かって逃げ出した。

今日の夜は暗黒。
まるで世界のまぶたが閉じたみたいだ。
もしもゲームみたいにやり直しができれば、次はあなたを選ばない。
もっと素敵な人を攻略して、ハッピーエンドを目指すだろう。
……もしもゲームならば、の話。
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