意地悪な彼の溺愛パラドックス

勤務を終えて、警備室を通り従業員用の出入口を出ると、私は空を見上げて立ち止まった。
夜に上書きされていく夕焼けは儚い。
それを煽るように音を鳴らして吹き荒れる風に、チェスターコートからはみ出たワンピースのスカートが捲り上げられそうになる。
スマートフォンで見た情報によると、世間では春一番が吹いたらしい。
心はまだ冬の私は、裾を押さえて徒歩十五分のアパートに急ぐか、風のない室内へ戻り虹を眺めながら気持ちの整理をするか、身を縮めながら視線を動かして少し迷う。
以前、彼に捕獲されたここに煙草を吸うその姿は余韻すらないのだが、結局はそれでも幻に腕を引かれるかのように、ショッピングセンター内へと導かれた。
そこは虹のふもとのノスタルジア。
いい加減、彼を思い出にしないといけない。
傷を抉るだけかもしれないけれど、ほかに慰めのあてがなかった。
自動販売機で飲み物を買い、腰を下ろしたところは三列目。
観葉植物に隠れて吹き抜けの空間を見上げると、変わらない光景が私を包む。
行き交う人の少ない平日は孤独感を募らせた。
プルタブに爪をかけて、封を切り控えめにひと口含む。
「はぁ。苦い」
不思議だ。
私の飲めないはずのこれを身体がもっと欲しがっている。
たしかに苦いこれで、目を覚まそうとしているのだ。
失恋を泣いて騒いでやり過ごせた全盛期は遠くて、ポッカリ空いた心に虹をつめ込むことができるほど、子供ではなくなったということを思い知る。
もうひと口飲んで、顔をしかめた。
「かよちゃん?」
不意に呼ばれた聞き慣れない声に「え?」と振り向くと、ベビーカーを押すリオさんと、その中で眠るアイリちゃんに出会う。
「偶然ね! 仕事終わり?」
「……あ、はい。こんばんは」
ニコリと微笑んだリオさんの笑顔は彼に少し似ていて、夫婦の仲睦まじさをうかがい知る。
それなのに私は、彼は、裏切ってしまったという、うしろめたさに足がすくんで動けない。
「よいしょ」と方向転換をしてこちらへ来るリオさんに、ドクドクと胸が高鳴った。
「買い物、ですか?」
「そう。アイリのお下がりの服もあるんだけど、男の子だから」
そう言って大きなお腹に優しく手をのせる。
私は身体を引き裂かれるようだった。
「少し、話せるかな?」
どこか言いにくそうに声のトーンを落としたリオさんに、黙ってうなずいた私は席を詰める。
なにを話すのかと不安を隠せずにそわそわしながら、隣に座り大きなため息をついた彼女をチラリと盗み見た。
リオさんは右耳に髪をかけてから、フッと小さく笑みをこぼす。
「遼はかよちゃんのこと、気になるみたいね」
「えっ!?」
いきなり核心部を責められるなんて思いもしなかった私は、心臓を射抜かれたかのようにむせ返る。
それを見たリオさんは、私の顔をまじまじと覗き込み「あっ」と瞳を開いた。
「もしかして、かよちゃんも?」
「ちっ、違います! ただの上司です。柏木さんだって担当エリアの店長としか思っていないですよ」
「少なくとも、遼はそんなことないと思うんだけど……」
「そんなことあります! 私なんてバカヨって呼ばれるくらいですから!」
私はなんとかごまかそうとがんばるのだが、やはり奥さんというポジションは、夫の異変に気づくものらしい。
疑わしい眼差しに、ゴクリと唾をのんで耐えた。
「そのあだ名、遼がつけたんでしょ?」
「それは私が店長として至らないだけで、深い意味はなにもないんです」
「かよちゃん……」
「私、よく怒られるし迷惑かけるし。あきれているんだと思います。本当にすみません!」
「かよちゃん、誤解しないでほしいの」
「誤解?」
「遼って冷たいし厳しいことを平気で言うけど、嫌いだからとか意地悪でしているわけじゃないのよ」
悲しそうに眉尻を下げたリオさんは、彼をとても大切に思っている。
僭越ながらも、彼が悪く思われるのは嫌だという気持ちは同じ。
私は「はい!」と微笑んだ。
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