意地悪な彼の溺愛パラドックス
私の長い髪を掬った指先の気配と、深い呼吸の息づかいと、ほのかに漂うメンソールのフレーバー。
私は吸わないが過去に知人が何人か吸っていたからわかる、煙草の匂い。
これが柏木遼の香りとしてインプットしてある私は、つい深呼吸をしてしまった。
「やましいぜ」
「えっ!」
その言葉の拍子にカッと見開いてしまった目を、バチバチと瞬きながら彼を凝視する。
「俺。絶対セクハラだよな」
わざとらしく悩ましげな顔をした彼だが、それでも離れることはない。
てっきり、私のやましさがバレたのではないかと取り乱すところだった。
私はゴホンと咳払いをして平静を装う。
「わかっているなら自重してほしいです」
「してたんだけど、もう限界」
「変態フェチ男」
「上司になんてことを言うんだ。仕方ないだろ、好きなんだから!」
至福なアホ面をしたまま、そうアッサリと言いのけた彼に思わず口をつぐむ。
(……好き、か)
欲情しまくりの変態は、実は私。
私こそ、もう限界だと飛びつきたい。
そんな心内を知らない彼は、ふざけた力説をする。
「第一、フェティシズムと一緒にするな。ひと言では語りえないセンシュアルな魅力があるのだ!」
「それはそれで危険じゃないですか?」
「ノーコメント」
「怖いんですけど」
「俺の愛情表現なんだから受け取れよ」
「そんな表現イヤです」
「ほほう。どんな愛情表現してほしいの?」
ニヤリと笑った彼は、私の目の前でつまんだ髪の毛先にチュッとキスを落とした。
「バッ、バカ! セクハラ!」
瞳を極限まで見開いた私に、ククッと笑いを噛みしめながらの平謝りは誠意の欠片もない。
私の一部に触れる彼は、いつも冗談交じりでふざけている。
私が許すから、習慣になってしまったのだろう。
強がりに撤するしか術のない私。
さんざん文句を唱えながらも頬は熱をおびて、胸はざわめき出す。
センシュアルな魅力の矛先を私に向けてくれたら、この苦しさも歯痒さもなくなるのに。
少し熱のこもる室内に空調設備の温度設定を下げたくなった。
吐息さえ届いてしまいそうな至近距離。
ドキドキするこの気持ちを必死に隠し恨めし気に睨みつけると、彼はバツが悪そうに肩をすくめて視線を逸らす。
こんな調子だから、彼は知らない。知らないのだ。
今日もその指先は、私の髪に余韻を残す。
なんてセンチメンタルなロングヘアー。
私は、柏木遼が好きだ。
柏木遼は、私の髪が好きだ。
本当に、自分が虚しくてため息をついた。
彼は不思議そうに首を傾げる。
「どうした?」
「くっだらない会話で、お腹空いたんですけど!」
私の剣幕に驚いた顔をして、二度ほど瞬きをした。
ところが、すぐにクスリと笑われたような気がして私は眉を寄せる。
そしてあれほど欲していた私の髪から瞬時に離れると、彼は腕時計を見ながら身体はもう出入口に向いていた。
「……行くか」
「え?」
スタスタと後腐れなく事務所を出ていくうしろ姿に、うしろ髪引かれる思いをするのが私の方だなんて。
慌ててロッカーからバッグを取り出し、休憩バッジを胸につける。
ハンガーにかけてあるチャコールグレーのカーディガンを持ち、羽織りながら小走りして彼の背中を追った。
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