意地悪な彼の溺愛パラドックス
そんな私に、里央さんはうれしそうに言った。
「かよちゃん、ありがとう」
「え? そんなっ」
「本当、よかったわ。三十六歳バツナシ独身彼女もナシ! なんて、大抵なにかあると思うじゃない?」
「は? ねーよ」
里央さんの言葉が予想外だったのか、ついた頬杖をカクンとはずした彼は、意地悪な笑みを顔からスッと消してツンとそっぽを向く。
それを見て苦笑いする彼女は、姉弟愛に満ちていた。
「正直ね、遼は引かれてるんじゃないかって心配だったのよ。かよちゃん、デリカシーの欠片もないバカだけど、末永くよろしくね」
ゴクンと飲み込んだ最後のひと口が喉に詰まりそうになり、揺れる氷の小さくなった水をガブガブと飲む。
彼の肉親によろしくなんて言われると、なんだか気恥ずかしい。
照れ笑いしながらようやく私が箸を置いたところで、大和くんが「ちょっと待って」と不服そうに申し立てた。
「俺も一役買ったはずなんだけど!」
「大和くんが? ……あ! うん、すごく無理やり感があったけど、ありがとう」
多分、事務所で必死にはやし立ててくれたときのことだろう。
思い返せば誤解の真っただ中で逆効果だったなと、私はクスリと笑って肩をすくめる。
チラリと隣を見ると、彼も私と同じ動作をして言った。
「大和がかよに色目使ってくれたおかげで、いろんな意味で焦ったけど。アリガトウ」
「あれは、遼を煽ろうと思ってさ」
「嫌がられてんのにグイグイだったよな。浮気男サイテー」
それは嫌味の込もったお礼と、一週間前の私のセリフ。
最近の大和くんの妙なスキンシップがここに繋がるとは感心で、全容をのみ込みひとり深くうなずいた。
しかし、それは穏やかなことではなかった。
「どういうことかしら。パパ?」
口角を上げた里央さんは小悪魔のようで、彼が女だったらこんな感じなのかと、思わず私は羨望にドキドキと胸を高鳴らせてしまう。
背筋を凍らせる大和くんを、鼻で笑った彼は「帰ろうぜ」と戸惑う私の腕を引き、席を立った。
また夜の風に冷やされながら、列を成していくテールランプを見つめて彼のアパートへと歩く。
「大和くん、悪気があったわけじゃ……」
「あぁ、いいんだよ。俺が懲らしめるよりも、リオの方が骨身に染みるだろうし」
「なんで柏木さんが?」
「なんで、って。俺の目の前であわよくば俺のバカヨなのに、手出すとかおかしいじゃん。リオやアイリもいるのに、マジで初めはどういうつもりかと思ったよ」
弟としての心配と、当前のように私のことで焦ってくれたことがすごくうれしくて、不謹慎ながらついニヤニヤと笑窪を作る。
「なに喜んでるんだよ、ガキ」
その笑窪をつついてムキになる彼こそ子供っぽいけれど、大好きだ。
私の右側を歩く彼の左手に、右手を絡めてみたくなってバッグを持つ手を持ち変えた。
そっと、あと五センチのところまで伸ばして、飛びつく前に目標は宙を仰ぐ。
「あれっ!?」
そのまま、私のポニーテールをギュッと握った彼は不機嫌そう。
うしろを引っ張られて上げた顔で、瞳だけをクルリと横に動かすと、今度はなんだか怒り出した。
「だいたい、お前にはパーソナルスペースってもんがないのか? だから大和が調子にのるんだ」
「え?」
「それに俺が上司だと思って安心しすぎ。付き合ってもいないのに、毎回簡単に触らせるなよ」
「すみません」
いつも事務所で怒られるときの、張り詰めた口調になった彼に反射的に謝るが、ハッとして眉を寄せて反抗した。
「自分が触りたがってたくせに!」
「だっ、だからって普通はな……」
私の反撃に咳払いしながらたじろぐ彼は、わしづかんでいた髪をパッと離す。
私はそのフリーになった左手を俊敏に捕まえて、驚き目を見開いた彼に対し「言ったじゃないですか!」と強く睨みつけた。
「柏木さんならオッケーだったんです。文句あります?」
伝えたかったのは、誰にでも触らせるほど軽い女ではないということ。
ずっと好きだったのだと、何度だって教えてあげたい。
「うわ、なんだそれ。お前かわいいな」
「またお世辞ですか?」
「俺、お世辞なんて言わないし」
そう言ってギュッと握り返す、彼の手は温かい。
はにかんだ私を見て、暗がりでもわかるくらい頬を染めるあなたもかわいいですよと言ったら、また怒られてしまいそうでとても言えなかった。
< 48 / 68 >

この作品をシェア

pagetop