意地悪な彼の溺愛パラドックス
翌朝、緩慢な意識の中だった。
カーテンの向こうでディープブルーがうっすらと明かりに変わろうとしている、まだ時間もわからないくらいのとき。
肌寒さに身震いして浮遊した意識の片隅に捉えたのは、艶やかな哀愁の漂う瞳が、わずかに光を宿しながら揺れる不可思議な彼。
指先に髪を通してはサラサラとすいていくその表情に、愛が見えなかった。
まるで私ではないなにかを私に求めているような、それでいてなにも求めていないようなミステリアスが、異様な疲労感と眠気に引き込まれる私を疑心暗鬼させる。
「髪、好きなんですか?」
「え? ……うん。好きだよ」
ピクッと静止した指先のまま、なにを今さらと言ったふうに彼はうなずく。
同じ布団にくるまるほど、近い存在のはずなのに。
なぜだろう、今は遠すぎて霞んでいる。
「本当に?」
震える声で問う私に驚くのは当然だと思っていたが、彼は答えることも驚くこともせずただ笑った。
「寝ぼけてるの?」
「そうかも、しれない……です」
優しく笑う彼が私をなでる手は心地よすぎて、思考を鈍らせていく。
こじ開けたいまぶたを追いつめるその手に敵う余地もなく、包み込む彼の香りに素肌をほてらせ落ちた。
間もなく私に背を向けて横になった彼の気配に、振り絞って開けた隙間から見えた、綺麗な背中に残る痕は残像か。
幸せと不安と寂しさが入り混じる彼の隣は、永遠ではないのかもしれないと、ふと思った自分の心の意図もわからずに、そんなことも忘れて眠った。
「わ! 今日あったかい」
窓の外は晴れやかで、澄んだ空を白い雲が流れていく。
夜明け前のアレは夢のひとコマだったのかもしれないと、窓を開けて入り込んでくる陽気がそんな気持ちにさせた。
寝室のカーテンを開けた途端に、頭まですっぽり布団に被った彼の身体をユサユサと揺さぶる。
「柏木さん、起きて! 春っぽいですよ。柏木さーん」
「なんか仕事してるみたい。名前で呼んで」
「でも私、交ざりそうで怖いです」
「んー。大丈夫」
なにを根拠に。
しかし唸るだけで一向に起きる気配のない彼に負けて、コホンと咳払いしてから、名前を呼んでみる。
「じゃあ遼くん。お腹すいたんですけど、どうしましょう?」
「バカヨちゃん。君は食べることしか考えてないの?」
「だってもう十時ですよ。キッチン、勝手に使ってもいいですか?」
「いいとも」
開けるつもりもなさそうなまぶたをこすりながら、彼、遼くんはそうしてまた布団にモゾモゾと潜っていった。
私は休日もアクティブに動き回るタイプなのだが、どうやら彼は違うらしい。
まだデートらしいデートをしたことがないので、まれに揃うふたりの休日は大切だと思うのだけれど。
一緒にいられるだけで、今はよしとしよう。
鼻歌を歌いながらカツンとフライパンの縁に卵をあて、ハムを敷いた上にふたつ落とす。
ジュッという音をあげて、卵白が徐々に色づいてきた。
彼は半熟が好きだろうか。私はナイフを入れたときに、トロトロとあふれ出るくらいが好み。
仕事中にランチを一緒にする間、よく食べる人だとは思ったけれど、好き嫌いを把握するまではできず不透明。
ブラックのコーヒーをよく飲むし、デザートを食べるところは見たことがないので、甘党でないことはたしか。
だと思う。
付き合えて舞い上がるばかりだったけれど、あまり知らない彼のこと。
まぁ、それが醍醐味なんて思える有頂天な私は、幸せ者かな。
唯一の、一抹の不安をぐるりと見回す。
掃除の行き届いた綺麗なキッチンと充実した冷蔵庫。
八帖のダイニングキッチンには食器や調理器具が揃っていて、なぜかかわいい型抜きまである。
まさか作ってくれる人でもいるのかと生唾をのんだが、最近の独身男性は料理上手だと、なにかの雑誌で読んだ。
彼もその部類であると願う。