意地悪な彼の溺愛パラドックス
目的のランチセットを堪能し奴を泣かせてから事務所へ戻ると、ハイトーンカラーの頭が目立つ女の子がスマートフォンを片手に人差し指をすべらせていた。
私は出勤時の挨拶でお馴染み、「おはよう」と声をかける。
アルバイトの彼女はまだ新人で研修中。
「柏木マネージャー! お疲れさまでーす」
「お疲れさま」
「ユリの名前、もう覚えてくれました?」
いつも無駄に延びる語尾と無駄に高いテンション。
一人称を名前で呼ぶイタイ子。
そして、なかなか失礼。
この店舗の店長の私が挨拶をしているにも関わらず、柏木遼しか眼中にないらしい。
週に一、二度しか店舗を訪れないエリアマネージャーの彼に媚を売るくらいなら、私に気に入られた方がお得。
誰に対しても理不尽な評価はしていないつもりだが、私だって感情のある人間だもの。
二十二歳、若さゆえ経験不足なのか、もともとのおとぼけた性格なのか。
うん、絶対に性格だろう。
ゆとり世代の賜物だという嫌味を込めて、よく「これだからユトリは」となにかにつけて陰口を言われバカにされていた。
アルバイトの二十代前半と正社員の三十代が数人、それからなぜか厄介な性格が揃ってしまった四十代のパートタイマーが多数という、ここの職場環境が生み出す世論としては止むを得ないのかもしれない。
挨拶も存在も完全にスルーされた私は、愉快なお友達ニュアンスで彼に駆け寄る彼女の甲高い声に苛立ちを抑えて、シフト表を確認するフリをした。
無関心を装いつつ、聞き耳を立てなくても聞こえてくるふたりの会話には、精神を集中させて。
「ユリ、三十分前に出勤したんですよ。偉くないですか!?」
「あぁ、偉いね」
「だから暇なんですよね。お話しません?」
「俺は仕事」
「じゃ、お仕事しながらユリとお話しましょ」
なるほど。
いつも勤務開始時間五分前にしか現れない彼女が、今日に限って早い理由がわかった。
昨日来店の連絡が入り、シフト表にメモした『11:00柏木mg』の文字。
状況確認や打ち合わせがあるため、スタッフ一同、マネージャーがすぐには帰らないことを知っている。
彼女、立花ユリちゃんのお目当ては柏木遼か。
当の本人はスルリとユリちゃんを避けて椅子に座り、机に持参したノートパソコンを広げた。
「柏木マネージャーに聞きたいことがあるんですけどっ!」
「わからないことは馬場店長に聞いて」
「そういう話じゃないですよー」
ふたりきりのときはバカヨなんて言ってバカにしていたくせに、他のスタッフがいると馬場店長と呼ばれる私。
私は柏木遼と呼び捨てるのは胸の内だけで、柏木さんとしか呼んだことがないのにも関わらず。
さらにいうと、髪の毛と戯れる変態な奴の姿を見たことがあるのは、私くらいかもしれない。
そう思うと自惚れてしまう自分が恥ずかしくて、思わせぶりな罪深き男のうしろ姿を憂いに見つめるしかなかった。
仕事中の彼は真面目でクールで格好つけ。
けれども、整った顔立ちからときどきこぼれる愛想笑いに、癒されて勘違いする女性も多いのではないだろうか。
きっとユリちゃんもそのひとり。
「彼女いるんですかー?」
私が今まで面と向かって聞けなかったことを、躊躇いなく聞ける彼女の楽観的思考回路には敬服する。
知りたくないような気もするが、彼はどう答えるのかものすごく気になるところ。
手持ちぶさたに、休憩前に下げ忘れた空調設備の温度設定ボタンをガチガチと押した。