意地悪な彼の溺愛パラドックス
ドキドキと胸が高鳴る中、息をのんで答えを待っていると、彼の張り詰めた声が響く。
「馬場店長」
「はっ、はい!?」
突然呼ばれて驚いた私は、裏返った声で返事をする。
くるりと椅子を回してこちらを向いた彼は堅実な態度で、机の上に置いたままだった私の私物一式を差し出した。
「えっ?」
「迷子かな。手間取っているみたいですよ」
そう言って彼が指差した先の監視カメラの映像には、店内のカウンターで男の子が大泣きして暴れている様子が映されていた。
スタッフがふたりがかりでなだめているが、見たところ苦戦しているよう。
私は応援に駆けつけるため、急いで身支度をする。
ドアにかけられた鏡でサッと身なりを整え、そして異世界へと右足を踏み出した。
店内に響き渡るのは、多種類の電子的な騒々しいサウンド。
BGMや効果音に精神的な頭痛を催すこともしばしば。
熱気にあふれた人混みを両手でかきわけながら、私は進路をカウンターに向ける。
不規則に行き交う予測不可能なお客様に行く手を阻まれたりもするけれど、口角はいつも斜め上に向かってコンプレックスの笑窪を作った。
サックスブルーのワイシャツに紺色のリボンタイ、紺色のプリーツスカートを揺らし前進。
腰のベルトに通したポーチの中で、プラスドライバーやネジがぶつかり合いシャラシャラと鳴った。
人の間をすり抜けながら左手首をちらりと見ると、最近ちびっこに人気らしいキャラクターが笑う腕時計の時刻は、あと十分ほどで十二時三十分になるところ。
ちょうどお昼ごはんを食べ終えた家族連れが流れてきて、混雑し始める時間帯だ。
こうなると充分に距離をとって並べた機器の配置に意味はなく、そんな日曜日の午後に迷子が出現するのは高確率。
カウンターにたどり着いた私を見て、安堵の表情を見せたスタッフに事情を聞くと、柏木遼の言う通りやはり迷子だった。
なにを聞いても泣いてばかりいるだけの男の子に苦戦中。
店内の混雑時にスタッフが手薄だとトラブルの種なので、持ち場に戻るよう指示しこちらは私が引き受けることにした。
私は男の子の前にしゃがみ込み「大丈夫だよっ!」と笑顔を向ける。
まずは不安を和らげることが第一。
警戒心が緩めば大抵はいろいろと話してくれるもの。
長年の経験が功を奏してうまく聞き出せた情報をもとに、店内放送のマイクを取った。
『レインボーキャッスルにお越しのみなさん、こんにちは! ようこそ虹の国へ! ご来店中のお客様に――』
ここは全国に展開するショッピングセンターの一角で、その系列のファミリー向けアミューズメント施設。
ゲームセンターといえばそれまでだけれど、ゲーム機だけではなく子供向けの大型遊具スペースや休日はイベントを開催することもある、屋内遊園地『レインボーキャッスル』。
その名の通り、出入口には虹のハリボテがトンネルを作り、あちらこちらに天井から吊るされた雲が浮かぶ。
壁面やフロアタイルなど、360度に描かれたイラストレーションは〝雲の上の世界にある、虹の国のお城へ遊びに来た〟という、なんともファンシーな設定を演出していた。
店内放送を入れて間もなく、男の子の家族が迎えに来た。
無事に再会を果たし、安心した表情を見ると私もホッとする。
大事にならなくてよかった。
実は私も幼い頃、このゲームセンターで両親とはぐれてしまったことがあるのだ。
記憶はもう曖昧だが、迷子の切なさは大人になった今でも深く心に残っている。
助けてくれたスタッフの手を握りしめて泣きじゃくっていた私に、かけてくれた「大丈夫」の言葉が心強くて忘れられなくて、いつしか憧れに変わった。
それから高校を卒業後に入社。切磋琢磨してきた。
私は今、あのときのスタッフのような存在になれているだろうか。
別れ際、私の手を握りしめしていた男の子にそっと声をかける。
「また遊びに来てね」
涙でぐしゃぐしゃだった顔は一転して、ニコニコしながら「もっと遊びたい」と両親の手を引いていった。
楽しそうな家族の笑顔が見られることは店長冥利に尽きる。
そんな場所を提供できるこの仕事が、私は好きだ。
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