意地悪な彼の溺愛パラドックス
複雑な顔しかできずにいる私に、彼は「そうだなぁ」となにか考えながら、布団の上に身体を倒してコロンと寝転がった。
「母親というよりも、俺は家族に憧れていたなぁ」
「家族?」
「家庭の雰囲気を知りたかったのかな。だからゲーセンもそう。本部に入る前だけど、大学に通う傍ら大和に便乗してバイトしたりもした」
仰向けになった彼は、薄目で天井のシーリングライトを見つめる。
少しの間そうした後、まぶしそうに瞬いてから懐かしむように目を細め「でも」とまぶたを伏せた。
「お前は家族の笑顔が好きだって言ったけど、俺は逆だった。楽しそうな子供の手を引く親を見るたび、自分のいた現実に落胆する方が大きかったんだ」
私はハッとして今までを振り返る。
もしかすると私が好きだと話すたび、無意識に彼を傷つけていたのかもしれない。
だから余計、私には話せなかった。
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「だって……」
私は悔しくて唇を噛んだ。
もう少し早く気遣えていたらと、不可能でも無意味でも思ってしまうのだ。
あからさまに気落ちする私に、察しのいい彼は「本当にバカヨだな」と笑みをこぼす。
「価値観の問題だろ。今は意識していないし、お前が気にすることじゃないよ」
そう言って起き上がり、きまりが悪くてうつむく私の頭をなでる。
切り立てでチクチクと皮膚を刺す毛先が、良心を咎めるようだった。
「それに、すぐ近くに幸せそうな家族がいるわけだし」
「里央さんは、遼くんにも幸せになってほしいって言ってました」
「本当にお節介だな」
苦笑いしながらため息をついていたが、どこかうれしそう。
それからたった一度、私が瞬きをして再び見た彼の瞳はなぜか切なさに落ちていて、同時に窓を叩いた暴風に心拍が乱される。
ビクリとした私をなだめるように、彼はなでていた手をゆっくりと頬にすべらせ指先で優しく触れた。
「リオは幸せそうだけど、俺はその間近にある愛や幸せさえ、偽りに思えてしまうときがあるんだ」
「そんなことっ」
「我ながら冷めてるよな。好きだったはずの母親を突き落としたわけだしさ」
「でも、里央さんを守るためでしょう?」
彼は否定せずに、けれどハッキリと肯定もせずに「自分が信用できない」と眉を寄せる。
その顔からはもう切なさなんてうかがえず無表情なのに、私の胸はえぐられるような苦痛で、喉の奥をジンジンと刺激するツンとしたなにかをこらえた。
「俺は自分が大切な人との未来を守っていけるのか、幸せにできるのか。好きになるほど不安になる」
これが彼の真意だと、私はやっとわかった。
これが彼の陥っている恐怖なのだと。
「怖いんだよな」
今なら聞こえる、あなたの声。
「君を幸せにする自信がない」
今ならわかる。
どさくさ紛れに『自信がない』と言った、あのときの言葉の意味。
「大好きなのに、君が怖い」
私は彼のことをなにもわかっていなかった。
彼はただ臆病なのではない。
痛みを知っているから優しくて、だから相手の幸せを思い、好きの底辺で独りを望む。
それでも、求めてしまうからパラドックスなのだ。
私は頬に振れていた彼の指先に自分の手を重ね、喉を鳴らして込み上げる熱い痛みを浄化する。
それから、なんとなく答えはわかっていたら、優しく顔をほころばせて問いかけた。
「好きになるほど怖いなら、私のこと、大好きってことですか?」
彼は私の肌に挟まれた指先をピクリと震わせて、多分今できる限りの微笑みを答えにする。
私はもう説き伏せた。
「いつかなくなるかもって心の奥で葛藤しながら、そのときに少しでも満たされていたくて、必死だったんでしょう?」
「……そう、かも」
「一時的な満足感を優先して、苦いところをごまかしてばかりだったから、お互いに切ないんですね」
彼は少し考えた後「そうだね」と肩を落とす。
「私も、それでいいのかなって思ったこともあったけど……」
考える間に、悲鳴のように唸る風には、次第にバラバラと打ちつける雨音が混じっていた。
私たちの恋愛に音があったら、こんな感じなのかもしれない。
足並み揃わずまとまりがなくて、でも強い気持ちが唸っている。
私は少しムッとした表情を作り、不愉快のうしろにたくさんの愛を込めた。
「そんなの、おいしいランチと一緒。お腹いっぱいになっても、またお腹は空くもの」
「たとえがバカヨらしいな」
「それは喜びであって、幸せじゃない。だからぎこちなくなってしまう」
「ほぼほぼ俺が最低だね」
「本当ですよ」
「愛想つきた?」
あんまり不安そうに、まるで別れを意識するかのような彼に、私は「浮気男ですら嫌いになれなかったこの私が?」と悪戯に胸を張る。
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