意地悪な彼の溺愛パラドックス
少し懐かしい気持ちに浸りながら事務所に戻ると、相変わらずユリちゃんは柏木遼のクールな背中と話していた。
私はあきれて仕事に入るよう促す。
「ユリちゃん、お店入ってね」
「えーっ、ユリまだ柏木マネージャーとお話したいのに」
「お話はまた今度にして? ほら、勤務時間だよ」
「はーい」
駄々をこねる子供かとうんざりしながらも、彼女のことはなるべくソフトに扱うことを心がけている。
切実に人手不足ということも含めて、彼女を採用したのは私だし、今しばらく我慢して様子を見るつもりだ。
雇用して一ヶ月経つが、仕事の覚えが悪いわけではなく、悪意があるわけでもなく、ただ自分の気持ちに忠実に生きているといった感じだから。
気が進まない様子のユリちゃんを送り出そうとしたところに、机に向かっていた彼が振り返った。
「馬場店長、そろそろ打ち合わせを……」
しましょう、と彼が言い切る前に私はインカムに応答する。
会話を突如遮ったのは、憂鬱なお知らせ。
『店長、エリアCブルーまでお願いします。九番です』
スタッフから「店長」と呼ばれれば「了解」と答えるしかない。
自然と顔をゆがめると彼が首を傾げた。
「どうした?」
「すみません。九番対応してきます」
「わかった。がんばれ」
堅い声色から不意にやわらかくなった彼のエールに、私は笑顔を返す。
するとドアにかけられた鏡でヘアスタイルを整えていたユリちゃんが、キラキラとした笑顔で言った。
「店長はたくましいから平気ですよねー」
「……は」
(たくましい、とな?)
「店長の男気あふれるところ、ユリは好きですよ!」
ガッツポーズのようにグッと握った右手をかざし笑顔を輝かせる。
この子には悪気がない。
そう自分に言い聞かせ心を鎮めるが、絶句だった。
さらに許せないのは、彼女の言葉に珍しく彼が反応しているということ。
ユリちゃんに、というか他の女の子に、クスクスと微笑みを見せる奴を見るのは非常に不愉快だ。
私は唇を尖らせフンッと鼻を鳴らして、事務所のドアを力任せに思いっきり閉めてでた。
さきほどよりも密度の多くなった店内を、控えめにズカズカと歩く。
たくましくなくては、店長なんてやっていられない。
吐いたら挫けてしまいそうな重いため息を我慢して、エリアCブルー、イコール、クレーンゲーム区画の青色のゲーム機の場所へと急ぐ。
九番とは隠語になるのだが、クレームを意味する。
スタッフの接客態度に対する苦情の謝罪から、理不尽な要求をするお客様の対応までと様々あるが、私が呼ばれるということは、それなりに厄介なのは明白だった。
寛容かつ強かにと心を決め意気込む。
本当は、争い事なんて苦手でけっこう凹むタイプ。
しかし店長という立場になりもうすぐ一年、私は強くなったのだ。
柏木遼の、おかげで。