意地悪な彼の溺愛パラドックス


「いくら使ったと思ってるの!? 全然取れないじゃない!」
鳴りやまない軽快なサウンドにも負けないほどの甲高い声が店内に響く。
クレーンゲームの立ち並ぶエリアで発せられたその声は怒りに満ちていて、近くで楽しまれていたお客様も驚きその場を離れた。
私は申し訳ない気持ちになりながら、曲がる背筋をなんとか伸ばす。
「そう言われましても」
「これじゃ詐欺でしょ! 返金しなさいよ」
「そんな、声をかけていただければ位置など対応いたしますので……」
「頼んだって取れなかったから文句言ってるんでしょ!」
ピシャリと返され思わずビクリと肩を固める。
お腹の前で組んだ両手に力を入れた。
ゲーム機の中には、抽選や設定した金額が投入されるとアームが強くなる、確率機というものもある。
しかし苦情の機械はいたってシンプルな、純粋にテクニック次第でどうとでもなるようなクレーンゲーム。
スタッフだって話しかけてくだされば、そうそう意地悪なことはしない。
ちょっとした取り方や重心の位置もアドバイスできるのだから、あとは実力と運でなんとかがんばってもらいたいのだが。
ダンッと勢いよくゲーム機のボタンを叩きご立腹なのは、五十代半ばくらいの女性。
なんとかご理解いただこうと必死に説明するも、水掛け論が続いていた。
なかなか食い下がらない私に耐えられなくなったのか、お客様はついに痺れを切らしたように叫ぶ。
「あんたみたいな若いバイトじゃ話になんない! 店長出しなさいよ!」
「えっ……」
私は息をのんだ。
従業員歴は七年だけれど、責任者歴は一ヶ月の新米店長に訪れた悲劇だった。
馬場かよ、二十五歳。まれに現れる、憂さ晴らしのような苦情を理不尽に述べるクレーマーに絶命寸前。
(景品が取れないからって、いちいち返金するゲームセンターがどこにある!?)
店長になる前にもクレーム対応はしたことがあったが、今回はハイレベルの強敵だ。
くわえて今の私のHP(体力)とMP(精神力)では厳しい戦いだった。
「店長を呼んできなさいって言っているの!」
この状況で言いにくいうえに、言ったら逆上させてしまいそう。
私は恐怖と緊張感でドクドク跳ねる心臓から、やっとの思いで絞り出した。
「店長は、私、です」
「はぁ!?」
驚愕し深いため息をついた後、バカにしたように鼻を鳴らして口を開く。
「なるほどね。あんた胡散臭い顔してる」
さすがに、この言葉はショックだった。
じわじわと滲み出てきた涙を精いっぱいこらえると、喉の奥が痛くてもう声なんて出せそうにない。
なにも答えられない私に調子づいたらしく、お客様はふてぶてしく笑った。
「土下座して返金しなさい!」
「えっ!?」
「これ以上は事を荒立てたくないでしょ?」
荒立てたくはないけれど、そんなことはできない。
私は店長なのだからもっと堂々としていなくてはと、自分に活を入れるも力が出ず、もうどうすればいいのかわからなかった。
そのときだ。
「それはこちらのセリフです」
突然の、低いその声は静かに周囲を圧した。
身体をすくめて小さくなる私の背後から気配もなく立ち現れたのは、スタイリッシュなスーツ姿の男性。
彼はスマートに私たちの間に身体をすべらせる。
出し抜けに割って入られ、相手は一瞬ひるんだ様子を見せたが意に介さない。
「どういう意味よ!?」
「脅迫や恐喝、強要などは警察に通報しますよ、という意味です」
冷静にハッキリと言い切った彼に対してか、通報という対処に対してか、瞬く間に顔色が一転する。
あきらかに動揺し始めたところに、彼はアッサリと決定打を与えた。
「ご協力いただけないのなら、他のお客様のご迷惑になりますので。お客様の主張については警備室の方で詳しく伺わせていただきますが?」
確固不動の凛々しさに凄味を増すばかり。
どうぞこちらへと言ったように差し示された手に、最終的にぐうの音も出なくなったお客様は、まごまごと逃げるように去っていった。
私はフッと力が抜け、近くのゲーム機に寄りかかる。
店内では相変わらず軽快なサウンドが鳴り続けるが、それよりも私の心音の方が大きいのではないかと疑う。
余波のせいで震えたため息をこっそりとついた。
< 8 / 68 >

この作品をシェア

pagetop