意地悪な彼の溺愛パラドックス
「馬場店長」
気を緩ませる隙もなく、私に向けられた鋭い視線にビクリと跳ね上がる。
寄りかかっていたゲーム機から慌てて離れ、タンッと足並みを揃えた。
「事務所のカギ、開けてくれる?」
「あっ、はい」
何事もなかったかのように平然とした顔で言う、ビジネスバッグ片手に首から社員証を下げた彼は、新米店長のサポート役として配属されたベテランのエリアマネージャー。
ピンチのときに颯爽と現れて頼りになる、こんなカッコイイ上司は心強いのかもしれない。
けれど私にとって、愛想はあるものの仕事の要件を淡々とこなすだけの、クールでいささかとっつきにくい人物。
業務連絡もほどほどに、どうやら私のことが気に入らないようで「店長らしさが足りない」と厳しくダメ出しをしてくるから、大抵は怒られてばかり。
たまに笑顔を見せられても、それはどこか冷やかな気がしてしまい心底苦手だった。
ドアの前に立ち、ガチガチと定まらない指先に苦戦しながら鍵を差し込む。
鋭く凍てついた彼の氷柱が突き刺さる背中が痛い。
事務所内から外へ出るのは簡単なのだが、店内から事務所へ入るためには防犯のため鍵を要した。
「ど、どうぞ」
やっと鍵を開け中へ入ると、ドアを押さえて彼を招き入れる。
エリアマネージャーの柏木さんは「どうも」と短く答え、いよいよふたりきりになった。
気まずい雰囲気に満ち始めた密室が緊張感を煽る。
重そうなビジネスバッグを机の足もとに置き、上着を脱ぎ出した彼にハッとした。
この後、一呼吸ついた柏木さんからお説教が始まるのはいつものパターン。
とにかく先にお礼を言ってしまおうと口を開いた。
「あのっ! さっきは……」
「ああいうクレーマーには、付け入る隙を見せるなって言っただろ」
確実に私の方が先に口を開いたのだが、それはすんなりとかぶせられてしまう。
「すみません、ありがとうございました」
「いつかこうなると思ったんだよ」
柏木さんは「はぁっ」と辛労のたまったため息をつき、あきれ返ったように腕を組み私を見下ろした。
目の前にドンと立ちはだかれ、私は顔も合わせられずにうつむいてスカートの裾をギュッと握る。
ちょうど柏木さんが来たから助かったものの、私はこんなんでこれから先やっていけるのだろうか。
やすやすと言い負かされ不甲斐なさを痛感した。
店長に就くために研修や試験もきちんとしたし、仕事内容も熟知しているはずだった。
バリバリがんばる気合いはとにかくあったのだ。
でも理想と現実の差は大きくて、自分よりも十歳以上年上の人たちに指示を出すプレッシャーと、日々飛び込んでくるトラブルや慣れない業務の責任感に押し潰されそうな毎日。
たとえば気分転換しようとお気に入りの場所を訪れても、結局は悶々と悩んで落ち込むばかり。
食事も喉を通らなくて、この一ヶ月で体重は四キロ落ちた。
柏木さんは厳しい口調ながらも、言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「店長が怯えていたのでは、相手もつけ上がるしスタッフも不安になる。もっと毅然としていろよ」
「すみません」
「ちなみに、日頃からスタッフに対してもそう。店長なんだから堂々と支持しないと」
「……はい」
耳にタコができるほど聞いてきたとはいえ、やりすごすにはベビーなコンディションに凹むしかなかった。
「すべての問題と責任が伸しかかるのはあたり前なの。寛容かつ強かに、柔軟に処理していきなさい」
「努力します」
泣かない、とグッと歯を食い縛る。
雨でも降ってくれれば、思いっきり泣いても気づかれないのだろうけれど、残念ながらここは室内。
レインボーキャッスルに虹はかかっていても、雨が降ったりはしないのだ。
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