昨日のキミと、今日の私。
踏み出す一歩

第九話 踏み出す一歩

ーあれから数ヶ月。

すっかり怪我も治り、舞台稽古に励んでいた翔

そして季節はもうすぐ冬

「翔!」

舞台稽古後、氷山が翔に駆け寄る

「…行くのか」

「あぁ。…かなり緊張してるけど」

肩をすくめて笑ってみせる翔

「そりゃあ、なぁ…」

空を仰ぐ氷山は眩しそうに目を細める

「…氷山はさ、自分の親のこと、どう思う」

「…俺?
俺は…親父は放任主義だからそんな関わりないけど…おふくろが結構うるさい」

「氷山はどっち似?」

「…見てわかんだろ。親父」

「いや〜…
でも、性格的にはおふくろさんの気がするけどなぁ」

「…似たくはないかな」

苦笑いする氷山にははっと笑ってみせる

「じゃ、行ってくるわ」

「…よろしく言っておいてくれ」

氷山と別れ、電車に乗った

ガタンゴトン…ガタンゴトン…

「…」

翔は、ある一つの決意を胸にしていた

目的の駅へと付き、駅前のケーキ屋さんに立ち寄る

「えーっと…」

翔のお目当ての物が目の前にあり、それを購入して再び歩き出す

「この辺も、変わったな」

辺りをキョロキョロと見回すと、翔の知る景色はもうほとんど残っていなかった

「…迷いそう」

そんなひとり言を呟きながら歩いて行くと、大きなマンションが視界に入る

「…久しぶり、すぎるな」

エレベーターがタイミングよく降りてきて、乗り込む

「…」

エレベーターに乗っている間、どこか落ち着かなくて。

エレベーター内の鏡でしきりに髪を直したりスマホを見たりした

「…あ、ついた」

開いた先の景色は、翔にいろんな事を思い出させた

「…」

なんとも言えない気持ちになりながら、とある部屋の前で立ち止まる

…ピンポーン

軽快なチャイムが聞こえ、がちゃりとドアが開く

「…どちら様ですか?」

「…俺」

「!!」

翔が会いに来た人は翔の姿を見るなり、ぽろぽろと涙をこぼし始めた

「か、かけ…る…?!」

「…久しぶり」

相手は、翔の母親だった。

氷山同様、元・読者モデルをしていた翔の母・宝石(てぃあ)。
自分の息子も同じ道を歩み、同じ世界を見てほしいと芸能界へ翔を入れた張本人

幼い頃から共働きで一人で家に居る事が多かった翔

その寂しさを紛らすためにドラマや映画を見るうちに、自分も見様見真似でそれを演じるようになった

その事に気づいた宝石は翔を読者モデルではなく、役者として育てていこうと決めたという

「…この家、全然変わってないな」

「…あなたの部屋も、掃除はしていたけれどほとんど当時のままよ」

ドアを開くと、懐かしい自分の部屋が視界に入る

お気に入りだった電車のおもちゃ

当時はまっていた天体図鑑

窓から差し込む優しい光…

十年という月日が経っても、変わらないものがあるという事を物語っていた

「…決して、あなたの未来を奪うつもりじゃなかったの
むしろ、あなたのためだと思ってした事なの…」

「…」

涙ながらにそう訴える母親は、十年も経てばそれは老けるだろう

だが、その面影はしっかりと残っていた

「あなたにも、私と同じ世界を見て欲しかった。
キラキラとした世界を、あなたにも見せたかった…」

遠くを見つめるように、ゆっくりと話す

「…あんたは読者モデルしかしてなかったんだろ
うちの業界の黒い部分なんて、これっぽっちも知らないから」

下を向いたまま、宝石と目を合わせようとしない翔

「…そうね。
私は、とんだ世間知らずだったわ」

「そのせいで、俺がどれだけ苦しんだと思ってんだよ」

普通の生活が送りたかっただけなのに

ただ平和に過ごしたかっただけなのに

「俺の幸せは、俺が決める」

真っ直ぐ宝石を見据える翔に、一切の迷いは無かった

「本当に、ごめんなさい…」

震えた声で、静かに泣き出す宝石

…だけど。

翔が出て行ってから翔の事を忘れたことなんて、一度も無かった

ただ、同じ世界を見て欲しかった

私の幸せを、あなたにも味わってほしかった…

初めは自分でも整理がつかず、ただただ理解してくれなかった翔の事を考えていた

だけど、それが宝石の理想の押し付けだったことに気づいたのは…

翔が出て行って、随分と経った後の事だった

「…でもさ」

先程とは変わって優しい声をかける

「俺、ほんとに十年苦しんだんだ。
普通の生活が送りたくて、舞台役者なんて辞めたくて
…でも、舞台を続けてきたから得られたものが、たくさんあって」

意味がわからないと言うように翔を見つめる宝石の頭を撫でる


「…俺さ、舞台が好きになったんだ」


今までに無いほど、優しい笑顔だった

「俺に舞台の魅力を教えてくれたやつがいてさ
…少し強引だけど繊細で、子供っぽいけど実力は確かで。

そんな、変わったやつ」

ははっと笑いながら話し続ける翔

「…それにさ、俺。黒崎監督に認められてさ。
今度映画の主演までもらったんだ」

その言葉を聞いた途端、宝石は口を押さえ、声にならない声をあげた

「…俺を変えてくれたのはその孫娘。今、同じ学校に通っててさ
すごいんだぜ?一人で脚本と監督をやってのける、天才女子高生ってね」

「翔…」

翔の笑顔を見たのは何年ぶりだろう

いや、こんな楽しそうに笑っているのは初めてかもしれない

「…まぁ、あんたに会いに行こうと思ったのもそいつがきっかけで…
その…礼だけ言いたかったっていうか…」

照れくさそうに視線を逸らす翔

「…」

宝石はこの十年、宝石もずっと、苦しんでいた

離婚が成立したのは、翔が出て行ったあとすぐだった

「お前みたいな外見だけの世間知らず、そりゃ息子にも見放されるわ」

夫が宝石に残した最後の言葉だった

宝石はただ純粋に、翔と同じ世界が見たかった

ほんとうに、ただそれだけだった

それなのに、どうしてこうも崩れてしまったのか…

翔の活躍をテレビで見かける度、見逃さまいとテレビから離れず、じっと見ていた宝石

舞台にだって何度も何度も立ち寄った

その度に、応援したくても出来ない息子を見ては辛さが増していった

ーそれが今、どうだろう。

十年経った今、立派に成長した離れて行ったはずの息子が。

自分に会いに来てくれた

それも、とびきり嬉しい話題を持って

…母親として、これ以上ない幸せだった

「…っく…ふ…」

嗚咽を漏らし、言葉にする事が出来ない宝石

「…俺が出て行ったあと、社長から聞いた。
父さんとあんたが離婚したって」

少し辛そうな顔をして、翔は告げる

「…あの時の俺は、ざまあみろって思ってた
俺と同じくらい苦しめって、思ってた

…だけど今は違う。

お互い辛かった十年、
…もう十分、苦しんだろ?」

再び優しくなる翔の声とともに、宝石を翔が包み込む

「…俺から言うのも変だけどさ、
もう一度、やり直してほしいんだ」

「か、け…」

「…“母さん”。もう一度、家族になってほしい」

思いがけない息子の言葉に、断る言葉なんて見つからなかった


「…へぇ、じゃあ無事に仲直り出来たんだ?」

「んーまあな〜」

彩葉の家で稽古をしていた翔と彩葉

彩葉の後押しもあり、母親とは上手くいきそうだった

「…良かったね」

「彩葉のおかげだよ。…ありがとな」

「わ、私は別に…

それより次のシーンの練習、始めるよっ!」

「え、もう始めんの?!」

「ほらっ!
名高い黒崎監督の孫娘、彩葉がサポートするからっ!」

「自分でそれ言うのかよ」

ふはっと笑う翔は、やる気全開の彩葉の元へとかけて行った


※この作品はフィクションです
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