初めて君を知った日。
「家、帰らないの?」
私が尋ねると、外を一度見据えてまたこちらを向く。
「僕は多分、本が好きだから。これ読んでから帰るよ」
「そ、そっか。……1年だよね?」
「うん、そう。せのおかずき、キミは?」
瀬尾君はそう言って、メモ用紙に自分の名前を書いて見せてきた。
瀬尾一輝。
ふわふわとした面持ちからはあまり想像つかない男性らしい名前。きれいな字。
「高畑可奈」
私は瀬尾君の元まで歩いて行き、ポケットに掛けていたペンでメモ用紙に名前を書いた。
硬筆の見本かのように綺麗な字を書く瀬尾君とは正反対で、丸く伸び跳ねの弱い私の字。
なんだか悔しさもある。
「字、きれいだね」
「小さい頃に書道をやっていたんだ。いつ辞めたのかは分からないけど。高畑さんは、かわいい字だ」
「……かわいいかなぁ」
ぼやくように呟いて、ふと雨音が気になった。
音、気にならないのかな。
窓開いてるし。
「窓、閉めていい?」
「ああ、ごめん。僕が閉めるよ」
謝るということは、自ら開けていたのかも。
もしかして雨の音が好きとか?変なの。
「いつも本を読んでるの? それとも偶然?」
「偶然、なのかな……自然とここにたどり着くというかね」
……大丈夫かな、この人。
そんな操り人形かの如く勝手に動かないでしょう。
厨二病をこじらせているのかもしれないと思えば、言いづらくなる。
「それ、新道薫?」
「そうだよ。新道薫の小説、前から読んでいる気がしたから。このストーリー好きなんだ」
どうして第三者目線のように言うのか。
やっぱり瀬尾君は変な人だ。
だけど、きれいな字にきれいな肌に、きれいな笑顔。
優しさがにじみ出ているみたい。
「私も好きなの、新道薫の本。特にそれ、花弁はもう何10回も読んでる」
新道薫は、世間に多くは出ていないマイナー作家だけど、誰しも持ってる悩みや感情を実体験のようにリアルに描いていてとても面白い。
人気作品ではなく、誰も知らないような作品を巡っては読みあさるのが私の人と変わった趣味で。
まさか、瀬尾君もそうなのかもって思ってしまった。
「これ、面白いよね。家に単行本と文庫本のどちらも置いてあるんだ」
「それはびっくり……あまり有名じゃないし、集めているのは私ぐらいだと思ってた」
「集めてる……? どうなんだろう」
「ふふ、なんか変だよね瀬尾君って」
「ははは……毎日同じことの繰り返しみたいで、明日を想像するのが精一杯なんだ」
勘弁してほしい、とでも言うように苦笑いする瀬尾君に困惑した。
誰しも悩みはあるけど、瀬尾君の悩みはもっと深いものなんじゃないかと思ってしまう。
例えば、学校に来たくない、授業が嫌だ、独りは怖い、とか。
解決しようにも難しい悩みを抱えているのかも。
「瀬尾君、学校は好き?」
暗い話はしたくないから、なるべく平常心で問いかける。
私はどちらかと言うと好き。
美友がいるし、写真同好会の友達もいるし、本もたくさん置いてある。
家にいるよりも、学校で騒ぐことが楽しい。
「学校……知らない人達ばかりで、なんだか不思議だなぁ。こう見えても、中学の時はサッカー部だったんだよ。あの時は楽しかったな」
知らない人達。確かに、高校1年生は入学したばかりでみんな緊張する。
瀬尾君も、そうだったんだ。
「サッカー部だったんだ。なら、結構女子からモテてたんでしょ?」
男らしさ、というものはあまり感じられないけれどイケメンだと思うし、女子はきっと放っておかない気がする。
今でも、実はモテてるのかも。
「どうかな、あんまり覚えてないな」
「なにそれ」
思わず、ぷっと吹き出した。
やっぱり、瀬尾君は変。
サッカーはもう辞めてしまったのかな。
どこからどこまでが嘘で本当なのか、いまいち掴めない。