初めて君を知った日。
教室ほどには広くない、少人数が机を並べて座れる程度の個室。
その真ん中に、瀬尾君はいた。
2つ並んだ机の片方。
読書をしていた瀬尾君は、私に気づくと目線をこちらに向けた。
「あ……おは、よう」
緊張で心臓がバクバクと鳴っている。
また、誰と聞かれる事に微かな恐怖を感じた。
だけど彼は、首をかしげる事もなく私に微笑みかけてきた。
「おはよう」
耳に届いた声が、強く脳内でリピートする。
溢れてきそうな涙をグッと堪えた。
私の事が、分かる? 覚えてる?
そう尋ねたかった。だけど、私はそうするべきじゃない気もしていた。
「本、読んでたんだ」
「うん、この本面白いんだ。ちょうど家にあってね」
瀬尾君が見せてくれたのは、花片という文庫で。
昨日机に置いてあった花片は、270ページ目にしおりが挟んであった。
だけどどうしてか、瀬尾君は50ページ辺りの見開きを読んでいたようだった。
「それ、何度も読んでるの?」
「多分、今日が初めてだよ。読もうと思って机に置いていたのかな? 全然読んでいなかったんだ」
こんな事、思ってはいけないのだけど。
まるで別の人を見ているようだった。
昨日も、きっと読んでいた。その前も。
「……私、高畑可奈って言うの。君は?」
「瀬尾一輝。?……漢字は、どう書く?」
一瞬、眉を歪めた瀬尾君が机に紙とペンを置いた。
やっぱり、そう言う事なんだなと思う。
私は少し泣きたい気持ちを抑えて、ペンを手にした。
高畑可奈、漢字で書いて瀬尾君に見せれば彼は突然立ち上がり私に背を向けた。
意味深な行動に驚きが先行した。
何かを確認しているようにも見えたけど、こちらを振り返り再び席に着く。
「……高畑さん、ごめん。変な質問だけど……どこかで会った事がある?」
「へ……?」
そう尋ねてきた瀬尾君の頬が心なしかピンク色に染まっていて、私は思わず目をそらした。
「あ、知らなかったらごめん! 勘違い、かも」
「……知らなくないよ。私は瀬尾君と話した事があるの」
本当に嬉しかった。
なぜ私が分かったのか、その疑問が残るけれど。
「そ、か」
安堵の息をつく瀬尾君に、昨日とまた違う彼を見た。
儚げな横顔。今日はそうではなかった。
照れかくしの笑顔に、あせる顔。
昨日は怒ってたもんなぁ。
「高畑さん、字が可愛いね」
不意に言われてびっくりした。
どうして瀬尾君は、こんな事をさらっと言うの。
自分では直したいと思っていた、こんな字。
もっと綺麗に書きたくて、瀬尾君の字が羨ましいとさえ思ったのに。
「子どもぽいよね、私の字」
思わず暗い空気にしてしまった。
「子どもはこんな綺麗に書けないよ。僕は好きだな、高畑さんの字」
「ふ、やっぱ瀬尾君て変な人」
「変なのかな」
「私ね、今まで褒められる事とか全然なかったから、すごいびっくりしたの。それに……ちょっと嬉しかった」
親にだって、褒められた経験は数えるほどしかない。
自分は1人では何もできない人間で、何の秀でた取り柄もない。
それがコンプレックスだった。
「僕の方がびっくりだけどな……高畑さんの字は、優しさがある。女性らしさもあるし、とても綺麗だよ」
なんて穢れの知らない言葉だろうと思う。
優しいのは、瀬尾君の方だ。