私、古書店の雇われ主人です。
帰りのバス。始発から乗った私は一番後ろの隅っこに座っていた。すると――。

(あれ? 航君?)

途中から航君が乗ってきて、真ん中あたりの座席に掛けた。彼はこちらにきづかない。車内はちょっと混み合っていて、とても声はかけられない。「スマホで」と思ったら、アドレス交換をしていないことに今さら気づいた。

(仕方がない。念を送るか、うん)

航君をじっと見つめる私はかなり怪しかったと思う……。そうこうしていると、ある停留所で一人のお婆さんが乗ってきた。

「ここ、どうぞ」

航君がすっと立って席を譲る。その動作には迷いや躊躇いがまったくなかった。ただ普通に当たり前のことをしただけ。本当にそんな自然な感じだった。

ああいう親切って、思っていてもなかなかできなかったりする。わかっていても行動できるかは別。難しい。でも、航君は行動した。

(航君……)

正しいことを真っすぐにできる彼がとても誇らしくて、なんだか胸が熱くなる。私は航君と同じ停留所で降りると、背後からそろりと近寄った。

「カッコいいじゃん、少年」

「うわっ……って、カンナさん!?」

航君は本当にぎょっとした顔をして、期待以上にびっくりしてくれた。

「すごいね、航君は」

「何がですか?」

「席譲ってあげてたでしょ」

「普通じゃないですか?」

お年寄りに親切にするのは当然のこと。普通といえば普通かもしれない。でも、当然の正しいことを、いったいどれほどの人が自然にできているのだろう?

「やっぱり航君は偉いよ。普通で偉い」

「でもおれ、普通に学校行けてないし」

「それはっ……」

傷つけてしまったかと思って一瞬ひやっとした。でも、航君はくすくす愉快そうに笑っていた。

「カンナさんは普通というか少し変わっていますよね。でも、すごいです」

「それって褒めてくれてるの?」

「もちろんです」

こくこくこくと頷く航君は、真剣な表情をしつつも楽しそう。

「うーん。なんか釈然としないような」

などと言いながら、私は航君の笑顔が素直にとても嬉しかった。



羽鳥さんが久しぶりに店を訪れた。

「これ、出張のお土産」

「わあ、ありがとうございます。今、冷たいお茶淹れますね」

砂漠の旅人は学会出張という本物の旅で、お饅頭を買ってきてくれた。

「カンナさんは変わりない? その後、航君はどうだい?」

「いろいろあったんですよ。進展というか」

お店にいるのは羽鳥さんと私だけ。聞いて欲しいことがやまほどある。

「へぇ、それはそれは。ぜひ聞きたいな」

「私ね、航君とお話しできるようになったんです」

私はお茶を淹れながらうきうきと報告した。

「そうかぁ、カンナさんは航君とお友達になったわけだ」

「お友達……そうですね、お友達です」

もう二十五歳の私が十四歳の航君のお友達を名乗っていいのか一瞬ちょっと迷ったけど。とりあえず「まだ二十五歳」と思うことにした。
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