私、古書店の雇われ主人です。
この人は同じ惑星(ほし)の人なのだろうか? 私にはぜんぜん理解ができなかった。

「生徒がどういった所へ出入りしているか担任として把握しておく責任がありますので。突然お伺いして失礼いたしました」

淡々とした口調に能面のような無表情。いかにも仕方なく来ましたという事務的なその態度は私を悲しく無力化させた。

「何かございましたら学校へお連絡ください。では、どうもお邪魔いたしました」

「ご連絡をさしあげることはないと思います」

「はい?」

大人げないと思われたってかまわなかった。一矢を報いたい。そんな気持ちだったと思う。

「航君は礼儀正しくて良識のある優しい子ですから」

「そうですか」

彼女は冷ややかに言って去っていった。どうせ本屋の小娘なんぞに教育のことなどわかるまいというように――。

私は表の札を「本日は閉店しました」にひっくり返すと、カーテンを閉めて羽鳥さんの隣に掛けた。

「お疲れさま。とんだ珍客だったね」

「噂をすれば影じゃないですけど。驚きました」

二人の間に沈黙が降りる。まるで嵐が過ぎ去った後のよう。突然やってきて無遠慮に人の領地を侵していった来訪者。彼女には彼女の事情があるのだろう。教師というのは本当に大変な仕事に違いない。でも――。

「羽鳥さん。私、何も言えませんでした……」

「そんなことはないさ。航君は礼儀正しくて良識のある優しい子だって、きっぱり言ったじゃないか」

「本当はもっと……言いたいこと、言ってやりことがありました」

「うん」

「勝ち負けってなんですか? 航君の負けってなんですか? 逃げたから負けってなんですか? だって、航君には戦いようなんてなかったじゃないですか」

悔しくて悲しくて、涙があふれてとまらなかった。

クラスの中でいじめに加担しなかった航君。バスの中で率先して席を譲れる航君。負けって何? 自分がいじめられたら負け? 席に座れないのは負け? 

じゃあ、勝つって何? 見て見ぬふりをしてやり過ごせたら勝ち? そんなの正しくない。正しいわけがないじゃない。

「カンナさんの言う通りだと僕も思うよ。航君は自分の命を守るために適切にその場所を離れただけ。賢明な選択をしただけだ」

羽鳥さんは穏やかに言いながら、ハンカチをそっと貸してくれた。

「逃げたと謗る人間には言わせておけばいい。たぶん、何を言っても通じないだろうからね、残念だけど。だいたい正々堂々の戦いじゃないんだから、応戦しないからって卑怯じゃないし弱くもないんだよ」

(応戦しないからって卑怯じゃないし弱くもない……)

その言葉に救われたような、ようやく許されたような――そんな気がした。

温かな光が闇を照らし、優しい熱が凍った悲しみをとかしていく。忘れようとして心の奥底に押し込んでいた記憶と決着をつけるときが来たのかもしれない。私は思い切って羽鳥さんに打ち明けた。

「私ね、どうしても自分の過去を重ねてしまうんです」

「過去というのは、いつ頃のカンナさんのこと?」

「ここで働き始めるまえ、OLをしていた頃です」

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