私、古書店の雇われ主人です。
私が新卒で入った会社で体験したのは、航君が教室で受けたそれと同じだった。

おそらく会社の皆が不安とストレスを抱えていたのだと思う。だから、安心材料が必要だった。自分が多数派に属しているという安心、或いは――優位に立っているという優越感。そして、誰か一人をターゲットにして全員で虐げることが、彼らにとって安心を得る手っ取り早い手段だったのだろう。

「あの人たちにとって、私は都合がよかったのかもしれません」

はじめは自分にどんな落ち度があるのかと真剣に悩んで考えた。けれども、そういう問題ではないことはすぐにわかった。

同じミスをしても、こっぴどく責められるのは私だけ。皆がやりたがらない仕事は自動的に私のところへ回ってくる。昔ながらの親族経営の会社は風通しが悪く、相談できる窓口などはない。私はやむなく「ここは会社。すべて仕事」と耐え忍んだ。

我慢する私は彼らにとって本当に「ちょうどよい」ターゲットだったに違いない。追い出すことが目的ではないので、あっさり辞められては返って困るというわけだ。

「一年頑張っても何も変わらなければ辞めようと思っていたんです。でも、父に強硬に反対されて。けど、二年目になるといっそう状況は悪くなって……」

新人で入ってきた子までもが向こう側についたのだ。

「その子、初めは戸惑っていたんです。申し訳なさそうだったし、仕方がない感じで。でもね、そのうちそうじゃなくなったんです」

あれほど人間を怖いと思ったことはない。彼女は慣れてその状況に適応していた。

「それでも頑張って仕事を続けていたんですけどね。私、さすがに体がおかしくなっていたみたいで。会社で倒れてしまったんです」

診断は入院を要する胃潰瘍だった。母はやせ細った私を見て泣き崩れ、父も会社を辞めることをもう止めなかった。

「正式に辞めると決まったとき、先輩たちと一緒に私に嫌がらせをしていた新人の子が聞いてきたんです。“先輩、どうしてもやめちゃうんですか?”って」

忘れられない。強張ったその表情には怖れと焦りが伺えた。まさかこんなことになるなんて、と。けれども、彼女にとっての「こんなこと」とは私を退職に追い込んだことではなかった。

「罪悪感が一ミリも無かったのかはわかりませんよ。ただ、差しあたって彼女が怖れていたのは――」

「自分が次のターゲットにされたらどうしよう、と?」

「そういうことです」

私は羽鳥さんの言葉に頷きながらため息をついた。

「今思えば、すべてが普通じゃなかったのかもしれません。会社も、私も。正常な感覚が麻痺していたというか。会社を辞めてからもしばらくすごく悩みました。自分が弱いから悪いんだって……」

弱いから狙われて、弱いから付け入られる。そして、弱いから戦わないで逃げ出したのだと……。
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