私、古書店の雇われ主人です。
「僕はカンナさんを弱いなんて思わないよ」

羽鳥さんの口調は穏やかだったけど、きっぱりとした強さがあった。

「不当な扱いには断固抗議すべきといっても、現実的には難しいことのほうが多い。声を上げても状況は悪化するだけ。それがわかるから黙っているほかない。そもそも多勢に無勢で戦えというのが無理な話なんだよ」

その言葉に、私は洟をすすりながらこくりと頷いた。

「“やりがいの搾取”という言葉があるけれど、カンナさんや航君の場合は“優しさの搾取”だよ」

「優しさの搾取、ですか?」

「そう。ずるい人間は知っているんだ。優しい人がむやみに他者を責められないということを。忍耐強いということもね。そして、優しさを貪るように利用する。一人ではいられないから群れをなして、たかるようにね」

私は航君のことを思った。たった一人でも、いじめに加担しなかった航君。翻っていじめる側に転じた級友を責めなかった航君。

彼は「やり返せなかった」のではない。「やり返さなかった」のだ。

「“優しいだけじゃやっていけない”と言う人がいる。それを否定はしない。でもさ、優しさを失ってしまったらどうしようもないと思うんだよ。カンナさんも航君も、その場所を離れてよかったんだ。大切なものを捨てるより、ずっとよかった」

学校で生き抜くために、航君がいじめに同調していたら? 他の誰かの苦しみを見過ごすことで自分が難を逃れていたら? 担任の先生はそれを「勝ち」というのだろうか?

「僕に言わせれば、カンナさんも航君も勇気あるよ」

「航君、すごいですよね」

羽鳥さんの笑顔に私は強く頷いた。私はともかくとして、航君は本当に勇気があるもの。学校に行かない子はやっぱり少数派だ。

多数派と違うことをするのは大変なことに違いない。それに、彼は正しいことをまっすぐにできる人だから。

「カンナさんだってすごいよ」

「私は……」

「属していた組織から外れるのは、それなりの決意が要るものだよ。劣悪な環境だったとしても、いざ辞めるとなると覚悟が必要だ。留まるのも勇気かもしれない。でも、辞めるのだって勇気なんだよ」

ずっと、ずっとずっと辛かった。弱虫の逃亡者の烙印を押されたようで。自分に自信が持てなくて。

でも、今はもう違う。私は自分の意志でここにいる。

「辞めたことを逃げた負けたと言うなら、逃げるも勝ち、負けるも勝ちだと僕は思うよ。だって、君はもうこの店に無くてはならない人なんだから」

「羽鳥さん……」

「君の優しさは搾取されるべきものじゃない。この店のためにいかされるべきものだ。愛情のある仕事をする人がこの店を継いでくれて、客の僕としては本当にありがたい限りだ。勝ち負けというなら、これほどの大勝利はないんじゃない?」
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