私、古書店の雇われ主人です。
入館の手続きは実にあっさりしたもので、すぐに書庫の見学が許された。
しかも、職員の案内はバックヤードにある専用エレベーターの前まで「あとはご自由にどうぞ」という放置ぶり……。私は羽鳥さんの後に続いてエレベーターに乗りこんだ。
「教員が紹介者だと案内はこちらに丸投げということもあるんだよ」
「そうなんですね」
「グループでの見学ツアーならともかく、個別だとちょっとね」
「そういうことですね」
「彼らも忙しいし、いちいち教員の“お願い”に付き合ってはいられないというわけだ」
「なるほどですね」
(なんだろう、この間が持たない感じ……)
エレベーターで二人きり。司書さんと3人で回るものだとばかり思っていたら、完全にあてが外れてしまった。
(羽鳥さんに好きな人がいる、か……)
航君の言葉が唐突に脳裏に浮かんでは、私の心を翳らせる。羽鳥さんは普段どおりのはずなのに、なんだか意識してしまう。そして、そんな自分に困惑する。
「カンナさん?」
「えっ」
「いや、やっぱり具合でも悪いのかなって。大丈夫?」
「た、楽しみすぎて緊張しているとか? うん、きっとそうです。ワクワクでいっぱいいっぱいみたいな? あはは」
羽鳥さんに余計な心配をかけたくなかった。それに、自分の中のぼんやりとしたわだかまりを打ち消したくて、私は精一杯に笑って見せた。
(航君がいてくれたらよかったのに……)
思ってみても仕方がない。そもそも、この状況を作ったのは航君だ。
そうしてまた思考停止。
(見学に集中する。本のことだけ考える)
私は静かに大きく息を吸って、もやもやを吐き出さんとばかりに大きく息をはいた。深呼吸のつもりだったのに、なんだか――重苦しい溜息のようだった。
初めて訪れたその場所は、これまた驚くほど静かだった。
「どう? カンナさんのイメージ通りだった?」
「どうでしょう。もう少しアナログな感じを想像していました」
ファンタジーに出てくるような古書の迷宮とは大違い。本たちは機械式の書棚に整然と収納され、美しく管理されている。アンティークではなく、まるで近未来のSF空間という感じだった。
「ウチの大学は早くから資料や目録の電子化に取り組んだりして、そういった方面では草分け的存在なんだ。一応ね」
「図書館学や情報学の名門ですものね」
辺りをきょろきょろ眺めながら、私は半歩下がって羽鳥さんの隣を歩いた。
とにかく静かだった、とても。広いフロアのどこかには作業している職員がいるのかもしれない。けれども、見渡す範囲には誰もいない。空調の音がやけにうるさく思えるほどの静けさ。静寂。閉鎖空間なんて言ったら大袈裟かもしれない。でも、まるで外の世界から隔絶された不思議世界に閉じ込められたみたい。その……羽鳥さんと、二人きりで。
「まえにカンナさんが見たいと言っていた画集を見に行くかい? もう少し奥の書架にあるんだけど」
「はい」
(羽鳥さん、ちゃんと覚えていて調べておいてくれたんだ)
すごく嬉しい。でも、羽鳥さんはみんなに親切だから……。
(私、何を浮かれているんだろう……)
そう思うと、なんだか急に切なくなる。そして、そんな自分がみじめな気がして、認めたくなくて、自分で自分が嫌になる。考えないように考えるって、難しくってとても苦しい……。
「さて、目的地はもうすぐだ」
てくてく歩いて、すいぶん遠くまで来た気がする。フロアの端から端まで移動して、そこを曲がって奥へ入って、少し進んでまた曲がる。途中から通路が少し狭くなったので、私は羽鳥さんの後ろをついて歩いていた。
(複雑な迷路というほどではないけれど、これってなんだか――)
「僕らは差し詰めダンジョン攻略中の冒険者といったところかな」
(ええっ)
「わ、私も同じこと思ってました」
魔物も出なけりゃ宝箱もありやしない。それでも、縦一列に並んで地下世界をずんずん奥へと進んでいくさまは、まるでRPGのそれだと思った。
「あ、通路を一本間違えたようだ」
「え?」
「頼りない前衛で面目ない」
「そんなこと……」
苦笑いして進路を変える羽鳥さんに、もちろん私もついていく。
頼りないだなんて、そんなことあるわけがない。だって、私はいつも羽鳥さんの言葉に助けられて、支えられて、誰よりも頼りに思っていて……。
「前衛がポンコツでも後方支援がしっかりしているから。カンナさん、呪文使えそうだし」
「何言ってるんですか。使えませんよ」
「秘めたる力の覚醒は間もなくだよ、きっと」
「なーんにも根拠ないですよね?」
他愛のない会話がこんなにも嬉しくて幸せなのはなぜだろう? 知りたい? 本当はもう知っている? わかりたい? それとも……。
しかも、職員の案内はバックヤードにある専用エレベーターの前まで「あとはご自由にどうぞ」という放置ぶり……。私は羽鳥さんの後に続いてエレベーターに乗りこんだ。
「教員が紹介者だと案内はこちらに丸投げということもあるんだよ」
「そうなんですね」
「グループでの見学ツアーならともかく、個別だとちょっとね」
「そういうことですね」
「彼らも忙しいし、いちいち教員の“お願い”に付き合ってはいられないというわけだ」
「なるほどですね」
(なんだろう、この間が持たない感じ……)
エレベーターで二人きり。司書さんと3人で回るものだとばかり思っていたら、完全にあてが外れてしまった。
(羽鳥さんに好きな人がいる、か……)
航君の言葉が唐突に脳裏に浮かんでは、私の心を翳らせる。羽鳥さんは普段どおりのはずなのに、なんだか意識してしまう。そして、そんな自分に困惑する。
「カンナさん?」
「えっ」
「いや、やっぱり具合でも悪いのかなって。大丈夫?」
「た、楽しみすぎて緊張しているとか? うん、きっとそうです。ワクワクでいっぱいいっぱいみたいな? あはは」
羽鳥さんに余計な心配をかけたくなかった。それに、自分の中のぼんやりとしたわだかまりを打ち消したくて、私は精一杯に笑って見せた。
(航君がいてくれたらよかったのに……)
思ってみても仕方がない。そもそも、この状況を作ったのは航君だ。
そうしてまた思考停止。
(見学に集中する。本のことだけ考える)
私は静かに大きく息を吸って、もやもやを吐き出さんとばかりに大きく息をはいた。深呼吸のつもりだったのに、なんだか――重苦しい溜息のようだった。
初めて訪れたその場所は、これまた驚くほど静かだった。
「どう? カンナさんのイメージ通りだった?」
「どうでしょう。もう少しアナログな感じを想像していました」
ファンタジーに出てくるような古書の迷宮とは大違い。本たちは機械式の書棚に整然と収納され、美しく管理されている。アンティークではなく、まるで近未来のSF空間という感じだった。
「ウチの大学は早くから資料や目録の電子化に取り組んだりして、そういった方面では草分け的存在なんだ。一応ね」
「図書館学や情報学の名門ですものね」
辺りをきょろきょろ眺めながら、私は半歩下がって羽鳥さんの隣を歩いた。
とにかく静かだった、とても。広いフロアのどこかには作業している職員がいるのかもしれない。けれども、見渡す範囲には誰もいない。空調の音がやけにうるさく思えるほどの静けさ。静寂。閉鎖空間なんて言ったら大袈裟かもしれない。でも、まるで外の世界から隔絶された不思議世界に閉じ込められたみたい。その……羽鳥さんと、二人きりで。
「まえにカンナさんが見たいと言っていた画集を見に行くかい? もう少し奥の書架にあるんだけど」
「はい」
(羽鳥さん、ちゃんと覚えていて調べておいてくれたんだ)
すごく嬉しい。でも、羽鳥さんはみんなに親切だから……。
(私、何を浮かれているんだろう……)
そう思うと、なんだか急に切なくなる。そして、そんな自分がみじめな気がして、認めたくなくて、自分で自分が嫌になる。考えないように考えるって、難しくってとても苦しい……。
「さて、目的地はもうすぐだ」
てくてく歩いて、すいぶん遠くまで来た気がする。フロアの端から端まで移動して、そこを曲がって奥へ入って、少し進んでまた曲がる。途中から通路が少し狭くなったので、私は羽鳥さんの後ろをついて歩いていた。
(複雑な迷路というほどではないけれど、これってなんだか――)
「僕らは差し詰めダンジョン攻略中の冒険者といったところかな」
(ええっ)
「わ、私も同じこと思ってました」
魔物も出なけりゃ宝箱もありやしない。それでも、縦一列に並んで地下世界をずんずん奥へと進んでいくさまは、まるでRPGのそれだと思った。
「あ、通路を一本間違えたようだ」
「え?」
「頼りない前衛で面目ない」
「そんなこと……」
苦笑いして進路を変える羽鳥さんに、もちろん私もついていく。
頼りないだなんて、そんなことあるわけがない。だって、私はいつも羽鳥さんの言葉に助けられて、支えられて、誰よりも頼りに思っていて……。
「前衛がポンコツでも後方支援がしっかりしているから。カンナさん、呪文使えそうだし」
「何言ってるんですか。使えませんよ」
「秘めたる力の覚醒は間もなくだよ、きっと」
「なーんにも根拠ないですよね?」
他愛のない会話がこんなにも嬉しくて幸せなのはなぜだろう? 知りたい? 本当はもう知っている? わかりたい? それとも……。