私、古書店の雇われ主人です。
航君は納得いかない表情をしたけれど、私が「ね?」と微笑むとしぶしぶ引き下がった。

(大丈夫、私は自分の意志でここにいるから)

「種村の言うとおり、私はとても恵まれていると自分でも思うよ。会社だって帰れる実家があるから辞めることができたし。この店だってそう。任せてもらっているのは孫の役得だよ。でも、それだけじゃないと思ってるんだよ」

とても静かな気持ちだった。以前の私だったら感情的になっていたかもしれない。悲しがって傷ついて、自分だって辛い思いをしてきたのだと、弁明のように主張したかも。きっと、こんなふうに落ち着いて話すことはできなかったと思う。でも今は違うから。

「私、まえは負い目とか引け目もあったんだけどね。そういうのやめようと思って」

店を任せてくれたお祖父ちゃん、航君や宮崎さんをはじめとしてこの店を愛して必要としてくれるお客さんたち、先輩として背中を押して助けてくれる色川さん、そして――勇気と自信を与えてくれる羽鳥さん。素晴らしい出会いに恵まれたこと、それはきっと神様がくれた幸運の種。それを豊かに育てられるかは自分次第だから。

「運と縁を生かし続けられるように頑張ろうって。恵まれていることにただ感謝して一生懸命やろうって決めたんだよ。だから、どう言われようとも平気。開き直りと言われても否定はしないけど」

言い終えてから「きつかったかな?」と少し思った。でも仕方がない。

「別に、私は何も……」

とりつく島もない言い方に種村は困惑気味に視線を逸らした。そのとき――。

(ん……?)

3人の耳にはっきり聞こえるように誰かのお腹の虫が「ぐぐーっ」と鳴いた。

「か、帰るわ。昼休み終わっちゃうから」

耳まで真っ赤にした種村がそそくさと席を立つ。空腹なのが誰かは明白だった。

(そっか、昼休憩を使ってきていたんだね)

てっきり外回りの途中で適当に抜けてきたと決めつけていたことを、私は心の中で謝罪した。そう、種村は学生時代から時間に正確だったもの。誰よりも真面目で一生懸命で、そして――決してずるができない人。

「おじゃましましたっ」

「種村」

逃げ去るように急ぐ背中に私は言った。

「今度は仕事休みの日にゆっくり来なよね」

「……!」

振り返った彼女の顔は、悔しそうで、恥ずかしそうで、泣きそうで、だけど――ちょっとだけ嬉しそうに見えた。

種村が店を出ると、航君は「やれやれ」とカウンター席に落ち着いた。

「あの人、いい人なんでしょうね」

「そうだよ」

「大人って大変ですね」

(航君は賢いなぁ。しかも、すごく優しいから)
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