私、古書店の雇われ主人です。
月曜日。航君は店にやって来た。

「いらっしゃいませ」

あとはいつものように努めて知らん顔をする。でも内心では、顔を見せてくれたことにほっとしていた。

午前中の店はいつもの調子で静かなもの。一人だけ年輩の男性客が来たけれど、航君に怪訝そうな顔をするでもなく、機嫌よく買い物をして帰っていった。

そういえば、うちの店に来るお客さんには、航君を見て顔をしかめるような人がいない。一瞬「ん?」とか「おや?」という顔をしても、ただそれだけ。「あの子どもはなんだ?」と聞かれたことなど一度もない。

ただ――「その詩集いいよな。俺も何度も読んだよ」などと、帰りしなに声をかけていく人はいたことがある。きっと、本好きの若者が嬉しかったのだろう。

その言い逃げして去って行く感じがまた、可愛くもあり優しくもあり。そういった光景を目の当たりにすると、私はいっそうこの店が愛おしかった。

(あれ? 雨の音……?)

ガラスをボツボツ打ちつける音に驚いて、私は窓へ駆け寄った。航君はだいたい朝から来た日は昼頃に帰るのだけど、ちょうど彼が店を出ようとした矢先に激しい雨が降り出した。

外は半分明るくて半分は真っ暗という、いかにも不安定な空模様。通り雨なのだろうけど、しばらくはまだ止みそうもない。

(航君、傘持ってるのかな?)

いや、あってもこの土砂降りでは意味がない。私は思い切って話しかけた。

「出るのは待ったほうがよさそうだね。小降りになるまでゆっくりしていって」

彼に「いらっしゃいませ」以外の言葉をかけたのは初めてだった。

「あ、傘がないなら貸せるからね」

「あのっ」

彼の声を聞いたのも、考えてみれば初めてだ。

「なんか、すみません……」

「ううん。傘、忘れ物とかでいっぱい余っているし。別に気に――」

「いつも」

「え?」

「いつもいつも、すみません……」

切羽詰まったような彼の表情に胸が痛む。

(そっか、やっぱり気にしていたんだね)

ここに来てもいいのか、居てもいいのか。いつまで、居られるのか――。

「謝ってもらう理由がないよ」

「だって、おれ……学校、行ってないし。なのに、学校に電話するとか、警察に通報するとか、そういうのしないでいてくれて、いつも……」

「通報だなんて。それこそ理由がないよ」

「けど……おれ、立ち読みばっかで買わないし」

「立ち読みお断りなんて言っていたら、うちみたいな店は潰れちゃうよ」

私があははと笑って見せると、彼はようやく少しだけほっとしたような顔をした。

「私ね、休憩しようと思っていたところなの。お茶、一緒に飲みましょう?」

「えっ」

「この雨じゃあ、しばらくお客さんなんて来ないもの。ね?」

カウンター席でコーヒーを飲みながら、まずは互いに自己紹介。私が宮崎さんづてに航君をちょっとだけ知っていたのを白状すると、彼は困ったように目を伏せた。

「おれ、図書館でも世話になっちゃってるんで」

「いいんじゃない? 公共施設だもん」

しれっと言うと、航君はちょっと「おおっ」という顔をした。

「カンナさんて、なんか変わってますね」

「はい?」

「いや、悪い意味じゃなくて。なんていうか……目線が独特、みたいな?」

私からすれば、そんなうがったことを言う航君のほうが変わっていると思うけど。ただ、なんだか嬉しかった。ちょっとは信頼してもらえている気がして。

「大人の人たちって、定点観測みたいなところがあるじゃないですか」

「定点観測?」

「いつも同じところから、同じようにしか見てくれないっていうか。おれの担任はとにかく頑張れって言うんです。逃げたら負けだって。けど、おれ的には戦いようがないっていうか。なんか、どうしようもなくて……」

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