溺愛なんて聞いてない!
煌から逃げ出したのは10年前。
高校の卒業式だった。
産まれたときから一緒だった私達。
一緒の産院で仲良くなった私の母と、煌の母親である雛ママは入院中に同じマンションだと判明して物心ついたときには隣に煌がいた。
お互い共働きで忙しかった両親。
私達はいつも一緒だった。
母の手伝いをしたくて覚えた家事が、煌に振る舞われるようになったのは小学校の中学年。
掃除もさながら、料理も壊滅的に苦手だった雛ママに変わって煌の食事は私が作るようになっていった。
中学に上がるときにはお弁当も私が作った。
『一花、弁当』
『一花にも1つくらい自慢できるもんがあるんだな。まぁ金を払うほどじゃねぇからそこは自惚れんなよ』
『明日っから朝飯も行くから。チッ、あのババァ食パン1枚まともに焼けねぇ。あっ、俺和食な』
中学、高校を卒業するまでの6年間、私はお弁当を作った。
人を部屋に入れるのを嫌がる煌に頼まれて(強制されて)煌の食事はもちろん、部屋の掃除から身の回りの世話までこなした。
それはもう母親のような家政婦として。
家政婦以上に見られることはないと、身のほどをこれでもかと思いしるには18年は充分な年月だった。
だから私は煌から逃げ出したのに。
再会するなんて聞いてないからっっ!!!