あたしとお義兄さん
24.正月はルーツを思い知る



 外は漸く夕暮れに差し掛かったところで、美夜と鈴子は彼女の車に乗り込んだ。

「それで、これから貴女はどうするつもりなの?」

 美女が軽快な音楽をカーステレオから流して、空いた道路を飛ばして行くと、鈴子は小さく息を吐いた。
 窓を開けて、風を一杯車内に取り込むと、天パの髪をゆるゆると流れるに任せた。

「………まったく、今年はとんだクリスマスでした。
 これから年も明けますしね。
 まだ決めてはいないんですけど、一旦九州に帰ってもいいかなとも思ってます。いろいろ、今後の事を落ち着いて考えたいですし」

 肩を落とした彼女は、視線を上げてバックミラーを見ると、追手が来ないのを確認して身体を伸ばした。

「ただ 一つだけはっきりしているのは、絶対あの二人とは結婚しない」

 美夜がちらりと元想い人の義妹を一瞥した。

「それだけです」

 鈴子は瞳に強い光を浮かべて、黄昏に染まる車の窓に凭れて目を瞑った。









 あれから美夜さんと呑んでるトコに、お義父さんが髪を振り乱して、乱入してきた。

 暫く何処か静かな場所で新年を迎えようと思っていたけど、『年越しはここに居て、一緒に』とロマンスグレーに泣きつかれた上、しゃくり上げるその背を撫でる母にまで眉を顰められ、『あんた、まさか断らないわよね?』とか囁かれたので、あたしの方が泣く泣く断念。

 仕方なく工藤の家でお正月を過ごした。

 絶対、静馬さんの手には渡さない。そういう条件で。
 あたしはきっと彼がすぐこの家に来る、と確信していた。


「あんた、落ち着かないわねぇ……」
 母は腰に手を当てて、鼻を鳴らした。

「……そんな事、無いわよ」

 そう言ったものの、あの出来事の後、静馬さんからのアプローチは梨の礫つぶてで、複雑な気持ちだった。

 そんな時、大きな花束が届いたので、すわ懐柔策か、と思いきや、それは一也さんからで。

『俺が悪かった。どうか許してくれ』

 との、流暢なメッセージが付いていた。

 直接謝りに行きたかったらしいけど、あたしがカンカンに怒っていたのを美夜さんから聞かされたのと、年末の病院が死ぬ程忙しかった所為もあって、日を改めてという段になったらしい。


 しかし、何なのかしらね、あのヒトは。


 がっちり構えていただけに、肩透かしを食らった様な気がするわ。
 お義父さんは『ぬははははッ!安心しなさい鈴子ちゃん。静馬なんぞ、可愛い娘に指一本触れさせるモノかッ‼︎』て高笑いしてたけど。
 お母さん、ここに魔王が居るよう。

 あのね、お義父さん、むしろ静馬さんが貴方の実子なんですけど……

 ツッコミを入れられず、困っていたあたしの肩を握った母が、無言で首を横に振っていた。



 ああ、うん。分かった。何かゴメン。



 お取り寄せの高級おせちを突つきながら、何となく茶を啜っていると、ドアがばたん、と開いた。

 鈴子は慌てて立ち上がり、その拍子に椅子を蹴倒してしまう。


「ただいま〜〜伸江さん、鈴子ちゃん〜‼︎」


 ……義父だった。
 椅子の脚に絡まって横倒しに倒れたままの娘の様子をつぶさに見ていた母は、口元をひくつかせていた。

「あんた、自分が天の邪鬼だって、いい加減自覚したほうがいいわ」
「────────うるさいよ」

 不貞腐れて椅子と身体を起こし、また座り込んだ娘の前に満面の笑みを浮かべた義父が現れた。

 紋付袴である。いや、それはいい。

 それはいいんだが、手に持っている大荷物は………

「お帰りなさい。まあ、珍しくお一人でお出かけになられたと思ったら、何ですの?コレ」

 義父、工藤秀幸(52)は“ジャーン‼︎”と効果音が付きそうな勢いで、それを広いリビングの床に広げたではないか。
 カウンターキッチンから離れた母娘が、おそるおそるソレを覗き込むと、


「どうだい、鈴子ちゃん。綺麗だろう?」


「───────まあ!」
 伸江が感心した様に手を叩いた。
 鈴子はただ大きく頷くと、そのままフェードアウトを掛けようとして、母に足を踏まれていた。


「…何をする、伸江(実母)」
 小さな声で微笑みながら、色んな汗を流す娘が尋ねれば、
「…秀幸さんがあんたの為にわざわざ買ってきたモノを無視する気?」


 馬鹿。物がモノだけに逃げようとしているんじゃあないの。


 それはそれは、見事な大振袖だった。


「鈴子ちゃんがお正月を一緒に過ごしてくれるって言ってくれたからね。
 初詣には間に合わなかったけど、 三社参りなら行けると思って、問屋を呼び付けてね、一式用意させたんだ。
 鈴子ちゃんの等身大パネルを持って行ってさ、皆でこれがいいって決めたんだよ」

 母は娘の後に回り込み、笑顔のまま強く両肩を掴んでいた。

「時間もないから反物から仕立てるにはなぁ、って悩んでたら、丁度、宣伝用に仕立てられたばかりの人間国宝て人の作品が店の奥に掛けられててね。
 ご覧よ!値が張るだけあって、鈴子ちゃんにぴったりじゃないか‼︎」


 とうしんだい、ぱねる?

 いつ、だれが、それを、どのようにしてよういした?

 ねがはる?にんげんこくほう?それってオイシイ?それって、いくら?


「おほほほほ秀幸さんたら、お茶目さん。じゃあ、帯はふくら雀にしましょうか?それとも変わり文庫の方がいいかしら」

 振袖の色を見れば、目にも鮮やかな紅。
 帯は漆黒に金の御所車。帯留はデカい琥珀。




 間違っても三十女の着る代物シロモノじゃねぇえぇぇェェ──────‼︎‼︎(心の叫び)




「ああ!そういえば、そろそろナニカイロイロ更年期障害やら、腹痛とか腰痛とか起きる頃だし、コンビニで大事な正月来客用お茶請けなんかを買う予定とかもあったな!」

 ぽん、と小気味良く手を打った義理の娘は“それじゃあ”と、爽やかに立ち去ろうとした。

 泣き出しそうな義父には気の毒だが、鈴子にも立てるべき女の面子というモノが無きにしも非ずなのである。

「───────あ、鈴子。そういえば静馬君だけどね……」


 ばっ‼︎


 闘牛の様に勢いよく振り返った娘は、母の翻す紅の振袖に向かって突進した。


「着る?」
「………」


 脳内に流れるドナドナの歌と共に、子供(子牛?)の様に手を引かれて連行される鈴子(31)。

 ブラボー母、ナイスだ母。伊達にこの世を五十年も生きてやしねぇ。


 2時間後。


 写真家御用達の一眼レフカメラを首から下げ、感涙している義父の前に、何故か生気の抜けた娘がメイクの力で若返りさせられて立っていた。
「写真は止めにしませんか……?」
 もはや、魂も抜けていた。

 すると、追い打ちをかけるかの如く、ドヤドヤと人の気配がする──────庭だ。

 工藤家は広い。ちょっとした邸宅だった。
 もちろん庭もそれなりの規模の庭園だ。
 騒ぎに驚き、垣間見ると、そこに短時間で特設スタジオが出来ていた。



  ぐはぁ。



 何やら、昔の様々な技を一子相伝で伝えられそうな勢いで、鈴子は血反吐を吐いた。(気分的に)

「いつ呼んだ?いつ呼んだんです⁉︎─────アレ、プロの人でしょう。写真家でしょう‼︎」

 レフ板やら、緋毛氈やらセッティングする慌ただしげな人々。
 色とりどりの番傘?どっから持ってきた‼︎
 何だ、何のチラシを作るつもりなんだ!

「大袈裟だなぁ、鈴子ちゃん。確かにプロだけど、彼は私の昔からの知己で、最近日本の正月が懐かしくなったらしくてね。
 たまたまアメリカから帰って来ていたんだよ。
 前に結婚報告をしたら、いつかぜひ遊びに行きたい、ついては新しい奥さんと娘さんにも挨拶がしたいって言っていたのを思い出してね。
 帰りの車内で連絡を取ったら、こう、トントンと話が纏まとまっちゃってさぁ」

 うっとりとこちらに魅入られながら義父がそう言うと、メイクさんらしき人が鈴子を椅子に座らせ、重箱のようなメイク用品を広げ、いろいろと彼女の顔を弄り始めた。



 まごう事なき本物のプロだッ‼︎しかも海外で活躍中⁉︎



「どんだけアンタ親バカだぁ─────ッ⁉︎」



 逃亡を大勢のアシスタントに囲まれる事で阻まれ、フラッシュの嵐に巻き込まれる。
「伸江さんも撮ろうよ」「私は秀幸さんと写りたいわぁ」
 仲良くカメラを構えて、プロとは別に撮り始める二人。


 ああ、確かに静馬さんのお義父さんだよ。
 こんな処に血が、遺伝子が脈々と受け継がれているなんて。


 ……待て、伸江はおかしいぞ?


 鈴子はカッ‼︎と目を見開いた。
「お母さん、何撮ってんのよ?」
「娘の記念」
「じゃ、なくて!つか、“写るン○ス”しか扱えないクセに、何を偉そうに胸を張るかな?

「いや、そうじゃなくて、─────吐け、『誰』から頼まれた?」
「ほほほ、須藤すどうさん、初めまして。こちら娘の鈴子ですの。お会いできて光栄ですわ」

 華麗に娘を無視すると、写真家に話し掛け、それで挨拶を返され、仕方なく受け答えして……そうしている内に何故か全員で三社参りに行く流れになり……



 ぱんぱん!



 物凄い大勢で神社の神前で柏手を打っていた。


「──────は⁉︎一体、何がどうして⁉︎」
 先頭にいた鈴子はそこで漸く我に返った。
「おみくじ引きましょう」「昼食の手配は」「お守りも欲しい」「破魔矢破魔矢羽子板」
 合間にまたしても写真を撮っていた母を見咎める事も出来ず、再び人波にに流される娘。


「あんぎゃーあああああアアアっ‼︎」


 その後も義父の干渉に悩まされ続け、逃れられたのは彼が仕事始めの七日に至ってからだった。

 九州に向かう新幹線の切符を握りしめ、ヤヤ屍と化した三十女はため息を吐いた。

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