あたしとお義兄さん
25.あたしの気持ち
騒がしい年末年始だった。
色々考える事はあった筈なのに、何も考える暇が無かった。
……そう言えば、あたし、ちょっち気鬱だったんじゃなかったっけ?
お義父さん、心配そうだったし。
そう言えば…あの騒動って、その頃からじゃなかった?
鈴子はこの数日を反芻してみた。
盛り上がったVIP席で参加させられた、とある有名テーマパーク(ネズミ雄オス雌メスとかダックとかグーとかいう犬とか無職っぽい名前のクマとかが無意味に練り歩いている)でのカウントダウン。(幾ら払ったッ⁉︎)
総勢三十余名で移動した三社参り。
“お義父さんの”冬休み記念、ブランドショップお買い物大会……。
…………。(間)うん、何か違うなアレは。
最初の方こそ確かにそういう気遣いだったのかもしれないけど、途中から何か違うモノに取り憑かれていたよな、うん。
あれからあたしはようようアパートに戻り、出掛ける用意をしてこうして駅に立っている。
あれからばったり、静馬さんからの連絡は無い。
あの時、娘を着付けしながら、母は言った。
『一度だけ電話があったわよ。あんたがちゃんと戻って来たか。
そして、一人でお正月を迎えてるんじゃないかってね……心配してた。
だから、安心する様に言っておいた』
無人のアパートで一人、小さなバッグの中に荷物を詰めながら、あたしは思った。
この部屋って、こんなに広かったっけ?
もちろん2LDKが広いワケは無い。でも、今まではもっと狭い様な気がしていた。
理由は…理由はしょっちゅう静馬さんが出入りしていたからだ。
今までは別に一人でも寂しいとは思わなかった。
あたしは割と何処へでも一人で行動するタチだし、束縛はキライだし。
自由が利くし、一人でいれば人に煩わされずに好きな事を好きなだけ出来る。
だから、一人で平気だった。
こんな風に、……独りだなんて感じる事は無かった。
『リン、本場の中華が食べたいって言ってましたね?パスポート、申請しに行きましょう』
『駄目ですよ、家に閉じこもってばかりでは……知り合いがリゾート・スパをオープンさせたんです。ねぇ、ドライブがてらどうですか?』
『リン、ここを開けて下さいよ』
低い、柔らかい声音で優しく奇妙なあだ名であたしを呼んでいた。
『リン、今日はとても楽しかった』
不意に、─────あのイブの日が鮮明に耳に蘇った。
『リンとこうして過ごせて……私は幸せです』
まるで耳元で囁かれている様なそれに、目眩すら覚える。
リン、リン、と呼ぶ声が次々に脳裏を駆け巡って、いつしか服を詰め込む手が止まっている事に気付く。
いつの間にこんなにあの男性は、あたしの中に入り込んだのだろう。
しつこい男は嫌いだった筈なのに、どうしても本気で怒れなかった。
あの男性は確かに妙にこちらの怒りを逸らすのが上手かったけど、ほんとはその所為じゃない。
確かにあたしは男前に弱くて苦手。
だけれど、仕事と年齢で鍛えた、男を見る目は伊達じゃない。
義兄は本当に寂しい人だった。
自分では気が付いていないくらい、寂しい男性だった。
あたしを見る目は優しかったけど、その奥には“途方に暮れて立ち尽くしている”あの人がいた。
あたしはただ、仕方無くあの人にお茶を淹れて、必要にだけ付き合って、帰ると言うまで傍に居ただけだ。
何もかもいい様にさせていたワケでも無い。
イヤは嫌。意見を言うのはしょっちゅう。
なのに、義兄は懲りずにまた来るのだ。
鮮やかな微笑みをその花の顔に浮かべて。
叶うなら、抱きしめてやりたかった。
この身体一つなら、くれてやってもいい。
傲慢にそう思わないでも無かった。
だが、一也の言う通りだった。
あの深い、底無しの孤独を埋める自信があたしには無かった。
見えるだけに恐ろしかった。
あたしは…強がっていただけだったのだ。
大きく息を吐くと、残っていた小物を次々に詰め込む。
身体を許せば、心まで引き摺られる。
ある意味、既成事実を作って強引に婚姻を結ぼうとしたあの義兄の手段は、実に有効だった。
あの接吻キス、あの快楽、あの、女の魂まで取り込む様な冥くらい熱情。
おそらく邪魔が入らなければ、あたしはあの人のものになり得たのかもしれない。
バッグ一つ持って、鈴子は部屋を後にした。
無人の部屋が閉じられる。
自分が果たされなかった過去を安堵しているのか、それとも残念に思っているのか、彼女には分からなかった。
静馬が訪れない今が『過去』になってしまった事を、
或いは分からない、と思い込みたかっただけなのかもしれなかった。
駅の構内にアナウンスが流れて、物思いから引きずり出された鈴子は、慌てて切符を確認すると、乗り口に急いだ。
階段を駆け上がると、誰かにドン、とぶつかって中年の男性の荷物がその拍子に階下にばら撒かれた。
「す、すみません」
人波の途切れる頃、鈴子はそれを拾い集め、帽子を目深に被った彼に手渡そうとして……
鋭い衝撃に崩れ落ちた。
男は手に持ったスタンガンをするりと自分のバッグに滑り込ませると、
「大丈夫ですか?」と、介抱を装って彼女を抱え上げる。
手早く成し遂げられた一連の事態が『事件』なのだと、気が付く者は誰もいなかった。
騒がしい年末年始だった。
色々考える事はあった筈なのに、何も考える暇が無かった。
……そう言えば、あたし、ちょっち気鬱だったんじゃなかったっけ?
お義父さん、心配そうだったし。
そう言えば…あの騒動って、その頃からじゃなかった?
鈴子はこの数日を反芻してみた。
盛り上がったVIP席で参加させられた、とある有名テーマパーク(ネズミ雄オス雌メスとかダックとかグーとかいう犬とか無職っぽい名前のクマとかが無意味に練り歩いている)でのカウントダウン。(幾ら払ったッ⁉︎)
総勢三十余名で移動した三社参り。
“お義父さんの”冬休み記念、ブランドショップお買い物大会……。
…………。(間)うん、何か違うなアレは。
最初の方こそ確かにそういう気遣いだったのかもしれないけど、途中から何か違うモノに取り憑かれていたよな、うん。
あれからあたしはようようアパートに戻り、出掛ける用意をしてこうして駅に立っている。
あれからばったり、静馬さんからの連絡は無い。
あの時、娘を着付けしながら、母は言った。
『一度だけ電話があったわよ。あんたがちゃんと戻って来たか。
そして、一人でお正月を迎えてるんじゃないかってね……心配してた。
だから、安心する様に言っておいた』
無人のアパートで一人、小さなバッグの中に荷物を詰めながら、あたしは思った。
この部屋って、こんなに広かったっけ?
もちろん2LDKが広いワケは無い。でも、今まではもっと狭い様な気がしていた。
理由は…理由はしょっちゅう静馬さんが出入りしていたからだ。
今までは別に一人でも寂しいとは思わなかった。
あたしは割と何処へでも一人で行動するタチだし、束縛はキライだし。
自由が利くし、一人でいれば人に煩わされずに好きな事を好きなだけ出来る。
だから、一人で平気だった。
こんな風に、……独りだなんて感じる事は無かった。
『リン、本場の中華が食べたいって言ってましたね?パスポート、申請しに行きましょう』
『駄目ですよ、家に閉じこもってばかりでは……知り合いがリゾート・スパをオープンさせたんです。ねぇ、ドライブがてらどうですか?』
『リン、ここを開けて下さいよ』
低い、柔らかい声音で優しく奇妙なあだ名であたしを呼んでいた。
『リン、今日はとても楽しかった』
不意に、─────あのイブの日が鮮明に耳に蘇った。
『リンとこうして過ごせて……私は幸せです』
まるで耳元で囁かれている様なそれに、目眩すら覚える。
リン、リン、と呼ぶ声が次々に脳裏を駆け巡って、いつしか服を詰め込む手が止まっている事に気付く。
いつの間にこんなにあの男性は、あたしの中に入り込んだのだろう。
しつこい男は嫌いだった筈なのに、どうしても本気で怒れなかった。
あの男性は確かに妙にこちらの怒りを逸らすのが上手かったけど、ほんとはその所為じゃない。
確かにあたしは男前に弱くて苦手。
だけれど、仕事と年齢で鍛えた、男を見る目は伊達じゃない。
義兄は本当に寂しい人だった。
自分では気が付いていないくらい、寂しい男性だった。
あたしを見る目は優しかったけど、その奥には“途方に暮れて立ち尽くしている”あの人がいた。
あたしはただ、仕方無くあの人にお茶を淹れて、必要にだけ付き合って、帰ると言うまで傍に居ただけだ。
何もかもいい様にさせていたワケでも無い。
イヤは嫌。意見を言うのはしょっちゅう。
なのに、義兄は懲りずにまた来るのだ。
鮮やかな微笑みをその花の顔に浮かべて。
叶うなら、抱きしめてやりたかった。
この身体一つなら、くれてやってもいい。
傲慢にそう思わないでも無かった。
だが、一也の言う通りだった。
あの深い、底無しの孤独を埋める自信があたしには無かった。
見えるだけに恐ろしかった。
あたしは…強がっていただけだったのだ。
大きく息を吐くと、残っていた小物を次々に詰め込む。
身体を許せば、心まで引き摺られる。
ある意味、既成事実を作って強引に婚姻を結ぼうとしたあの義兄の手段は、実に有効だった。
あの接吻キス、あの快楽、あの、女の魂まで取り込む様な冥くらい熱情。
おそらく邪魔が入らなければ、あたしはあの人のものになり得たのかもしれない。
バッグ一つ持って、鈴子は部屋を後にした。
無人の部屋が閉じられる。
自分が果たされなかった過去を安堵しているのか、それとも残念に思っているのか、彼女には分からなかった。
静馬が訪れない今が『過去』になってしまった事を、
或いは分からない、と思い込みたかっただけなのかもしれなかった。
駅の構内にアナウンスが流れて、物思いから引きずり出された鈴子は、慌てて切符を確認すると、乗り口に急いだ。
階段を駆け上がると、誰かにドン、とぶつかって中年の男性の荷物がその拍子に階下にばら撒かれた。
「す、すみません」
人波の途切れる頃、鈴子はそれを拾い集め、帽子を目深に被った彼に手渡そうとして……
鋭い衝撃に崩れ落ちた。
男は手に持ったスタンガンをするりと自分のバッグに滑り込ませると、
「大丈夫ですか?」と、介抱を装って彼女を抱え上げる。
手早く成し遂げられた一連の事態が『事件』なのだと、気が付く者は誰もいなかった。