あたしとお義兄さん
第2章 ヤンデレの行動理念
26.誘拐
ピチョン、ピチョン。
ピチョン、ピチョン………
規則正しい水滴の音が耳に残る。
頭がぼんやりして、考えが纏まらない。
すう〜っと、水の底から浮かび上がる様な感覚で覚醒していく意識が、今。
ガツ‼︎
何かを踏み込んだ音で目が覚める。
見ると、座ったままで一歩踏み出した自分の前に、ギョッとした様子の見慣れぬ中年の男性が居た。
「いや、違うんです。ちょっと寝ぼけて運転している夢を見てて、思わずブレーキ踏んじゃって」
驚いた状態のまま、引いている男性に必死に言い訳してから…
「……あの…。何であたし、椅子に縛られてんですか?」
身動きの出来ない状況に漸く疑問を持つ鈴子。
男性もあからさまにホッとした顔をして、頷いた。
「…良かったよ、起きてくれて。電流の程度が酷すぎたんじゃないかって心配してたんだ」
くたびれた黒のジャケットに紺のズボン。
ポロシャツは白地に横縞と、何処にでも居そうなおっちゃんで。頭はヤヤ禿げ掛かっている。
ぶっちゃけ悪そうな匂いが全くしなかった。
「お腹は空かないかい?一応、おむすびとサンドイッチを買っておいたんだけど。
そこにね、ストローを挿したお茶もあるから」
見回すと、すぐ横のテーブルにお茶のペットボトルが倒れない様に固定してあった。
長いストローは首をちょっと伸ばせば届きそうだ。
「──────すみません。出来れば、状況を説明して戴けると助かるんですけど」
これは明らかに誘拐である。
人の良い対応に拍子抜けしたが、それ故にちょっとコワい処がある。
何しろ鈴子には全くこの状況に対して心当たりがないからだ。
なので、怒らせない様に出来るだけ丁寧に話し掛けた。
「ああ…済まないね。そうだよね、君にしてみれば……ひたすら迷惑なだけの話だ」
コンビニのビニール袋からおむすびを出し掛けていたおっちゃんは、傍のソファにどっかりと座ると、前屈みになって肩を落とした。
「まったく、何だってこんな事になっちゃったんだろうね…これで、私は立派な誘拐犯だ」
おーい、誘拐した方がされた方より落ち込んじゃってるぞォー⁉︎
鈴子は眉根を寄せてイライラしていたが、ふと足元の毛布に気が付く。
ここにある、という事は、彼が眠る彼女に掛けていてくれたんだろう。
「後悔なさってるんなら、今、解放して下されば、あたしは何も言いませんよ?」
おっちゃんは顔を上げて彼女を見た。諦めきったその顔に微笑みを浮かべた彼は、ゆっくりと首を横に振る。
「ありがとう。─────でも、それは出来ないんだ」
こちらの申し出を疑いもせずに…しかし、彼の目にはある種の決意が潜んでいた。
「私の名は……」「あ、いや、言わなくていいですッ‼︎」
鈴子は自己紹介しようとする男に勢い込んで叫んだ。
「何故だね?」
「いやその、何かは知りませんが、目的果たしたら逃げるんでしょ?名乗らなけりゃ殺さなくて済みますよ?死体の始末は手間ですよぅ。
ふむ、このログハウス感はシーズンオフの別荘地、ってとこでしょうか?つー事は山っしょ?山」
取り敢えず死にたくない、訳の分からないおっさんに殺されるのを全力で遠慮したい鈴子は、必死に言い募る。
いや、彼が口を挟む暇が無いほど、捲し立てた。
「いや、あのね…」
「むしろ放っとけば飢えと寒さで死ぬかもしれませんが、それはそれ、運ってヤツですし〜。
大体、土掘るとこ見られたらコトでしょう?
積極的な殺人はリスクが大き過ぎますし、昨今は自然破壊に食い詰めた動物とかが埋めた死体を食い荒らしたりして、事件発覚とか多いですし。ま、ここに転がしておいて時間を稼ぎ、その間に逃げるのが一番です。
運良く助かったとしても、あたしの物覚えは壊滅的です。モンタージュとか絶対思い出せません。それに貴方、凄く特徴無いし、普通だし、バーコードとかも基本だしィ‼︎」
おっちゃんは『基本のバーコードで悪かったねェ』とか言いつつ、部屋の隅っこで蹲った。
「ああッ⁉︎誘拐なんてデカい事しでかしておいて、何だってアナタそんなにガラスのハートなんスかッ⁉︎そんな繊細な神経では世の中は渡って行けませんよ!」
するとおっちゃんはふぅ、と再びため息を漏らし、ソファに戻って、ビニール袋から缶コーヒーを取り出し、所在無さげに掌で弄び始めた。
「そうなんだよねぇ、それが君を誘拐した理由なんだよ、三国鈴子さん」
おっちゃんは語り出した。
彼は従業員、百人くらいの中小企業の社長さんで、まあ、最初の内こそ一代でトントン拍子に上り詰めたらしいのだが、やがて不況の波が彼の会社にも覆い被さり、大手の取引先は薄利多売の企業に乗り換えていくし、にっちもさっちも立ち行かなくなってしまった。
まあ、有りがちな話だ。
「お話中すみません、トイレ」
……途中一回トイレ休憩を挟んで話は続く。
それでも何とかおじさんは社員と一丸となって、会社を立て直そうとしたらしい。
そうして苦心の末、漸く画期的な新商品の開発に成功した、と言うのだ。
「機密だから詳しくは話せないけど、これで何とか会社も立て直せる、そう確信持てる代物なんだよ。これで一先ず大丈夫、そう思った。
だが、手形の決済は待ってはくれない」
「じゃあ、目的は工藤の義父からの身代金、ですか?」
「いや、開発費の目処さえ付けば、それはクリア出来る。問題は君のお義兄さんだ」
鈴子の表情が険しくなる。
あの『義兄』に何の用だ?
「金銭面以外にあの男性に用と言うと、何ですか?アレが何かしたんですか?言っときますけどね、あたしは付き纏われているだけの被害者ですよ?
…それとも、仕事先の取引相手ですか?悪いんですけど、あたしの遺体とかに縋って泣かれても迷惑ですし、あの人なら液体窒素とかで永久保存して火葬すらしてくれそうに無いんで、巻き込まないでくれますか?」
顔の険しさから、義兄を庇う発言が飛び出すと思っていたんだろう。
まさかの罵倒におっちゃんは彼女の傍まで来ると、両肩をポンポンと優しく叩いたお。
「────────不憫な」
「喧やかましいッ‼︎」
第三者から冷静に指摘されると、何となく途轍もなく物悲しい。
ピチョン、ピチョン。
ピチョン、ピチョン………
規則正しい水滴の音が耳に残る。
頭がぼんやりして、考えが纏まらない。
すう〜っと、水の底から浮かび上がる様な感覚で覚醒していく意識が、今。
ガツ‼︎
何かを踏み込んだ音で目が覚める。
見ると、座ったままで一歩踏み出した自分の前に、ギョッとした様子の見慣れぬ中年の男性が居た。
「いや、違うんです。ちょっと寝ぼけて運転している夢を見てて、思わずブレーキ踏んじゃって」
驚いた状態のまま、引いている男性に必死に言い訳してから…
「……あの…。何であたし、椅子に縛られてんですか?」
身動きの出来ない状況に漸く疑問を持つ鈴子。
男性もあからさまにホッとした顔をして、頷いた。
「…良かったよ、起きてくれて。電流の程度が酷すぎたんじゃないかって心配してたんだ」
くたびれた黒のジャケットに紺のズボン。
ポロシャツは白地に横縞と、何処にでも居そうなおっちゃんで。頭はヤヤ禿げ掛かっている。
ぶっちゃけ悪そうな匂いが全くしなかった。
「お腹は空かないかい?一応、おむすびとサンドイッチを買っておいたんだけど。
そこにね、ストローを挿したお茶もあるから」
見回すと、すぐ横のテーブルにお茶のペットボトルが倒れない様に固定してあった。
長いストローは首をちょっと伸ばせば届きそうだ。
「──────すみません。出来れば、状況を説明して戴けると助かるんですけど」
これは明らかに誘拐である。
人の良い対応に拍子抜けしたが、それ故にちょっとコワい処がある。
何しろ鈴子には全くこの状況に対して心当たりがないからだ。
なので、怒らせない様に出来るだけ丁寧に話し掛けた。
「ああ…済まないね。そうだよね、君にしてみれば……ひたすら迷惑なだけの話だ」
コンビニのビニール袋からおむすびを出し掛けていたおっちゃんは、傍のソファにどっかりと座ると、前屈みになって肩を落とした。
「まったく、何だってこんな事になっちゃったんだろうね…これで、私は立派な誘拐犯だ」
おーい、誘拐した方がされた方より落ち込んじゃってるぞォー⁉︎
鈴子は眉根を寄せてイライラしていたが、ふと足元の毛布に気が付く。
ここにある、という事は、彼が眠る彼女に掛けていてくれたんだろう。
「後悔なさってるんなら、今、解放して下されば、あたしは何も言いませんよ?」
おっちゃんは顔を上げて彼女を見た。諦めきったその顔に微笑みを浮かべた彼は、ゆっくりと首を横に振る。
「ありがとう。─────でも、それは出来ないんだ」
こちらの申し出を疑いもせずに…しかし、彼の目にはある種の決意が潜んでいた。
「私の名は……」「あ、いや、言わなくていいですッ‼︎」
鈴子は自己紹介しようとする男に勢い込んで叫んだ。
「何故だね?」
「いやその、何かは知りませんが、目的果たしたら逃げるんでしょ?名乗らなけりゃ殺さなくて済みますよ?死体の始末は手間ですよぅ。
ふむ、このログハウス感はシーズンオフの別荘地、ってとこでしょうか?つー事は山っしょ?山」
取り敢えず死にたくない、訳の分からないおっさんに殺されるのを全力で遠慮したい鈴子は、必死に言い募る。
いや、彼が口を挟む暇が無いほど、捲し立てた。
「いや、あのね…」
「むしろ放っとけば飢えと寒さで死ぬかもしれませんが、それはそれ、運ってヤツですし〜。
大体、土掘るとこ見られたらコトでしょう?
積極的な殺人はリスクが大き過ぎますし、昨今は自然破壊に食い詰めた動物とかが埋めた死体を食い荒らしたりして、事件発覚とか多いですし。ま、ここに転がしておいて時間を稼ぎ、その間に逃げるのが一番です。
運良く助かったとしても、あたしの物覚えは壊滅的です。モンタージュとか絶対思い出せません。それに貴方、凄く特徴無いし、普通だし、バーコードとかも基本だしィ‼︎」
おっちゃんは『基本のバーコードで悪かったねェ』とか言いつつ、部屋の隅っこで蹲った。
「ああッ⁉︎誘拐なんてデカい事しでかしておいて、何だってアナタそんなにガラスのハートなんスかッ⁉︎そんな繊細な神経では世の中は渡って行けませんよ!」
するとおっちゃんはふぅ、と再びため息を漏らし、ソファに戻って、ビニール袋から缶コーヒーを取り出し、所在無さげに掌で弄び始めた。
「そうなんだよねぇ、それが君を誘拐した理由なんだよ、三国鈴子さん」
おっちゃんは語り出した。
彼は従業員、百人くらいの中小企業の社長さんで、まあ、最初の内こそ一代でトントン拍子に上り詰めたらしいのだが、やがて不況の波が彼の会社にも覆い被さり、大手の取引先は薄利多売の企業に乗り換えていくし、にっちもさっちも立ち行かなくなってしまった。
まあ、有りがちな話だ。
「お話中すみません、トイレ」
……途中一回トイレ休憩を挟んで話は続く。
それでも何とかおじさんは社員と一丸となって、会社を立て直そうとしたらしい。
そうして苦心の末、漸く画期的な新商品の開発に成功した、と言うのだ。
「機密だから詳しくは話せないけど、これで何とか会社も立て直せる、そう確信持てる代物なんだよ。これで一先ず大丈夫、そう思った。
だが、手形の決済は待ってはくれない」
「じゃあ、目的は工藤の義父からの身代金、ですか?」
「いや、開発費の目処さえ付けば、それはクリア出来る。問題は君のお義兄さんだ」
鈴子の表情が険しくなる。
あの『義兄』に何の用だ?
「金銭面以外にあの男性に用と言うと、何ですか?アレが何かしたんですか?言っときますけどね、あたしは付き纏われているだけの被害者ですよ?
…それとも、仕事先の取引相手ですか?悪いんですけど、あたしの遺体とかに縋って泣かれても迷惑ですし、あの人なら液体窒素とかで永久保存して火葬すらしてくれそうに無いんで、巻き込まないでくれますか?」
顔の険しさから、義兄を庇う発言が飛び出すと思っていたんだろう。
まさかの罵倒におっちゃんは彼女の傍まで来ると、両肩をポンポンと優しく叩いたお。
「────────不憫な」
「喧やかましいッ‼︎」
第三者から冷静に指摘されると、何となく途轍もなく物悲しい。