あたしとお義兄さん
29.無意識下の恋の始まり



「お義母さんと一緒に私達と顔合わせの食事をした。それが全ての始まりだった」




 正直、静馬はこの結婚に何も期待していなかった。

 昔は“兄弟”“姉妹”というモノに憧れた時期もあったが、所詮無い物ねだりだと分かっていたし、実際、そんな者が居た処で身内として上手くやっていける自信も無い。
 それに今では父とは袂を分かって、別な所に仮住まいも持っていた。

 母ともあっさり別れてしまった父親に、今更“義母”“義妹”という存在が付随しようと、特に自分には関係無い。

 写真も見た。十人並みの二人。
 どこかお人好しそうなその顔は穏やかで、縁の無い家庭の暖かさに満ち溢れている。

 疑問と言えば、直ぐにでも貰い手が有りそうな溌剌とした娘の方が三十過ぎても嫁いでないくらいのものだが。

 まあ、人それぞれだし。
 あの仕事一徹の父親が、何故かその母娘にハマっているらしいから、面倒が無くていい。

 そんな余所余所しい想いはおくびにも出さずに、静馬は極上な笑みを浮かべた。

 取り敢えず、立ち寄る時の好印象を与えておこうと思ったのだ。
 案の定、馬鹿の様にポカンとする二人。


 だが、次の反応は違っていた。


 母親は満面の笑みで迎えてくれたが、娘の方は一気に真顔になり、目を眇めすらした。
 それは一瞬で。
 まさに一瞬で。



 だが、その刹那の時で静馬を捕らえてしまったのだ。



 再び見た彼女は顔は完璧な笑顔に繕われていた。
 そう、“繕われて”いたのだ。

 父には自分の母親とセットと見なしているのか、微笑ましい、といった感じで…写真のままの笑顔で微笑んでいるのに。


 何故か、自分にだけ。


 静馬は内心狼狽していた。
 人当たりと顔の良さだけは人並み以上と自負している。

 その自分が、“嫌われている”?


 有り得ない。有り得る筈が無い。
 間合いを詰め、空気を読み、話題を選び、効果的な言葉を選ぶ。
 それだけで、これまで大抵の男女は自分の手に落ちてきた。
 中には落ちて欲しくない、自分の思い通りになって欲しくない友人まで、この“外側”に惹かれていたのも知っていた。


「いずれ、母をそちらにお迎えになるんですよね?」

 三国鈴子。やや、ふっくらとした身体にクルクルと天パの髪を揺らして、彼女は父にそう尋ねてきた。

「勿論だよ、鈴子ちゃん。君の部屋だって、もう────」
 父親がしたり顔で指を立てて物言おうとするのを遮って、


「その件なんですがね。母とも話し合いましたが、私は仕事があるのでこちらに残ります」


 にっこりと微笑んで、彼女は爆弾を放り込んできた。

 父と自分は固まっていた。
 父は微笑んだまま、肉用ナイフを取り落とし、ダー‼︎と涙を流していた。

「な・何でだい⁉︎ややややっぱり再婚には反対なのかいッ⁉︎」
「いえ、この再婚には全く異議はありません。
 ですが、私は私ですので」

 すっかり彼女を引き取るつもりでいたらしく、母親の方に打診して、内緒で好みを聞き出し、用意した部屋の内装まで手を加えていた父の取り乱し様といったら無かった。

 この歳の女性にサプライズとか、一体何を夢見ていたのか?

 まあ、気持ちは分からなくもない。
 肌は白く、もちもちとしてきめ細かい。大きな瞳は子鹿の様に黒々として、濡れた様に輝いている。
 多めの髪は緩やかに編まれ、肩に波打っている。背丈も小さめ、小動物の様だ。
 実は女の子が欲しかった父にしてみれば、まさにうってつけ。
 多少歳はいっているが、童顔な彼女は充分可愛い娘、といって差し支えないのだろう。

「お仕事なんて、もうやらないでいいんだよ?君には好きな事をさせてあげるし、習い事だって始めていいんだ」
 父は必死の形相で彼女をかき口説いている。見ていて気の毒なくらいだ。

「いや、お気持ちは嬉しいんですが、何もこれが今生の別れというワケでもありませんよ?お義父さん」
 彼女はにっこり、畳み掛けた。
 “お義父さん”と呼ばれただけで脂下がる締まりの無い顔に、息子としてはため息を禁じ得ない。
 ロマンスグレーと評判のスタイルの良さが台無しだ。

「私はいつでも遊びに行きますし。その時はお部屋を使わせて下さい」




 ─────────“嘘”だ───────



 直感で読み取ってしまった。
 彼女は自分を曲げる気が無い。そうして『いつでも』は最小限に絞られるのだろう。


 冗談では無い。
 では、自分はいつ彼女と接点を持てばいいのだ?

 そうして静馬ははた、と気付いた。
 何故、自分はこんなにもムキになっているのだろう。
 彼女の方が距離を取ってくれているのだ。有り難い事ではないか。

 だが、それを感情が直ぐに打ち消してしまう。
 嫌だ、と。
 更に食事が終わると、鈴子はさっさと母親を置いて帰ろうとしている。

「送りましょう」

 自然に声が出ていた。驚く義妹予定の彼女。
 父親も意外な成り行きに目を見張っていた。

「いえ、私は……」
「私も出る処でしたから」
 強引に遮って、柔らかく手を差し出した。
 おずおずと差し出される暖かい、小さな手。

「どちらへ?」
「いえ、実はあの二人をデートさせてあげたかっただけで、これといって用は無いんですよ」

 クスクスと笑う、本日初めての『本当の微笑み』。
 それにまた驚く程、囚われて。

「お義兄さん、お急ぎじゃなかったら…私にちょっと付き合って戴けませんか?」

 深い紅のAラインのツーピース。レースの裾が翻り、白い面に子鹿の瞳が悪戯っぽく揺れた。



 その瞬間に、静馬はもう恋に落ちていたのだ。
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