あたしとお義兄さん
30.静馬は如何にして『静馬』になったのか?



 可愛らしい造りのログハウス風の喫茶店に、彼女は静馬を連れてきた。
 カウベルの鳴るドアを開け、「あ、出窓の席が空いてる!」と嬉しそうに微笑んだ。

 何故だか二人で向かい合い、注文を決めるだけで心が浮き立つ。
 静馬はこんな経験は初めてだった。

 心が動いている。
 目の前の女性の一挙一動に視線がいってしまう。
 場のコントロールが利かない。
 また、それを心地好いと思ってしまう自分がそこに居た。

 食事を済ませている為、二人ともコーヒーを選んだ。

「さて、お疲れ様でした。お義兄さん」
 ぺこりと頭を下げる鈴子に静馬は苦笑した。
「貴女も。暑苦しい父で申し訳ありませんでした」

 ぷふぅ。思わず彼女は噴き出した。
 ちょっと赤くなり、慌てて口元を隠す。
 可愛いな、と静馬の表情が緩んだ。
 女性をそんな風に思うのも初めてだった。

「──────いえ、お義父さんが新しい家庭を大事に思って下さるのは有難い事です」
 コホン、と咳払いして改まって言うのがおかしい。
「しかし全力で逃げ出そうとされていましたね。迷惑なのでしょう?」
 彼は珍しく少し意地悪な気分になって水を向けてみた。
 途端、決まり悪い表情を見せるかと思いきや、彼女は“我が意を得たり”とばかりに、キラリと目を光らせた。

「その事なんですがね?静馬さん」

 満面の笑みを浮かべた彼女に見惚れていると、小さい唇からとんでもない言葉が飛び出した。


「共同戦線張りませんか?────私は必要時以外、消えて差し上げますから」


 静馬は鈴子の言葉に絶句した。
 彼女の艶やかな黒い瞳が意味あり気に瞬く。

「それは……どういう…」
「だって、貴方は私達親子を何とも思って無いんでしょう?」

 漸く言葉を絞り出した品の良い美青年イケメンに、小毬系な義理の妹候補はズバリ、核心を突いたのだ。

「出迎えの雰囲気で分かりましたよ。あ、いえ、それは全然構わないんです。こんな歳にもなって、私等改まって義理の親やら兄妹もありませんよねぇ……」

 ふぅ、と運ばれてきたコーヒーの熱を冷ます彼女に、静馬は固まっていた。

 それは違う、と。
 いや、違いはしなかったが、“今は”違うのだ。

 脂汗に近いものをダラダラと流しながら、静馬は全身が脈打っている感覚に陥っていた。

「でね、提案なんですけど。─────あたしもこの歳ですし、母の事は工藤さんにお任せして、独り立ちしようかと思うんですよ。
 仕事も友人も全部こちらですしね。“渡りに船”って感じですか。まあその分、そちらにお住いの静馬さんに多少負担が掛かってしまうかと思いますけど、まあ見たままあんな女性ひとですんで、性格は悪くないですから安心して下さい。折につけ顔を見せて下されば大丈夫ですから」

「ま、待って下さい!では、やはり貴女は全く本宅にはお見えにならないお積りなのですか?」
 彼女はきょとん、とした顔で、狼狽した静馬を不思議そうに見上げた。
「だって、その方がお互い都合がいいでしょう。どうせあたしだって、いつかは結婚するかもしれませんし」



 結婚。



 静馬の端正な顔が一気に青ざめた。
 自分に全く未知な感情を抱かせる唯一の彼女が、他の男のモノになってしまう。
 許せなかった。断じて許せるものでは無かった。

「同居なさらない理由は恋人ですか?」

 血の気の引いた静馬は、逆に一気に冷静に戻った。情報収集索敵モードに切り替わる。

「いえ、その、ははは。…居ませんよ、今は」

 今度はクリームを入れて飲むつもりらしい。
 半分程飲んだコーヒーにとろりとしたそれを入れ、スプーンでくるくると掻き混ぜている。

「色々あって、もう一年近くなります。一人暮らしも気楽でいいでしょうし、この機会にそろそろあたしも自分の事だけ考えてみたくもあるんです」

 だから、気遣い無用という訳か。

 今更恋など御免だ、と暗に口調は告げていた。静馬は物言わぬその全てのメッセージを言葉のニュアンスから的確に読み取り、脳内で超高速に処理をしだす。
 同時に無自覚にすり替えが行われていた。

 最も自然に彼女の傍に居る為にはどうしたら良いか。
 そんな人物が彼女にとって拒否出来ない存在として受け入れられるのか。
 最適と思われる人物像が、過去の瑣末さまつな想いを基に構築され、静馬を塗り替えていく。

 それはまるで、コンピュータがウィルスに侵されていく様な速度で。
 速やかに終了した。


「それは困りますね。────貴女がどうお思いかは存じませんが、私は昔から妹か弟が欲しかったんです」


 フワフワの髪が揺れて、大きな瞳が『はあっ?』と見開いた。
 目の前のこの女性が喉から手が出る程、欲しい。
 だが、『恋』では今は決して受け入れてもらえないだろう。
 時間は必要だが、遠距離になればどんな男が彼女の前に現れるやも知れず、季節の折にしか見えないのであれば、彼は至って不利である。

 そこで生まれたのが、先程の父親の性質をベースとした『義妹に執着した暑苦しい義兄』という人格だ。

 急拵えの筈のそれは、元々無味乾燥だった彼の中身に、水を吸う様にピタリと収まってしまう。
 不快の一つも起こさず、まるで昔からそうであったかの如く。

「母が亡くなってから、一人っ子の私はずっと寂しかったんです。
 別に仮住まいを構えていますから、わざわざ新婚の邪魔はしませんが、貴女とは兄妹の付き合いをさせて戴きたい」

 余りの転身ぶりに戸惑いを隠せない義妹候補は、小首を傾げてこちらを窺ってくる。

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