あたしとお義兄さん
31.シスコンの馴れ初め



 だが、静馬は新たな自分を喜びを以て迎えた。
 完全に人が変わってしまったのだ。

「え?どうしたんですか、貴方最初の印象と違い過ぎますよ⁉︎」

 狼狽えた彼女は焦っている。
 目算が合わなくなって、計画が本狂いし始めた所為だろう。

「そうですか?でも、私はこんなに可愛い貴方が義妹になって下さって凄く嬉しい」
 静馬はにこにこと人好きのする笑顔を浮かべた。
「親から独立したいというのは貴女の様な大人の女性には室内にご尤も。
 ですが、妙齢の女性の一人暮らしには感心出来ません。幸い私は一人で3LDKのマンションに住んでますから、部屋には充分余裕があります。家事を取り仕切って下されば、お給料も破格にお渡し出来ますし、そちらを引き払う際の面倒一切は私が負いましょう」


 鈴子の眉間の皺が二本程増えた。


 契約条件を提示するかの如く、目の前の青年がすらすらと尤もらしく並べ立てる内容は。


【仕事を辞めて、俺ンとこ来ないか?】
 である。


「社会保険等については私の仕事であるコンサルティング業の秘書として登録し、きちんと継続致しますし、何なら顧問として出向している企業に捻じ込む事も可能です。
 お友達と離れるのは最初は辛いでしょうが、決して寂しい思いはさせません。こちらへ遊びに戻る際には付き添いますから、当然旅費は掛かりませんし」

「──────待て」

 温もりのある一枚板のテーブルに身を乗り出す可愛い義妹に静馬は素直に従った。

「その話、要約すると何だか四六時中貴方と一緒に居なきゃならないみたいなんですケド」
「はい」

 即答に眉間の皺をゴリゴリ親指と人差し指で揉みながら、鈴子はちょっと涙ぐんでいた。

「泣かないで下さい、鈴子さん。お盆や正月に限らず、いつでも私がこちらへ連れて来て差し上げますから。遠くにお嫁に行ったと思えば────」
「誰がそんな心配をしていますかッ⁉︎」
 彼女は静馬が慰めようと伸ばした手を小気味よく撥ね退ける。

「静馬さん、貴方の方にどういう心境の変化が起きたのかは知りませんが、私サイドの話は変わりません。まるで決定事項みたいに同居を決められても迷惑です」

 驚きに見張った黒曜石の二粒の瞳が見る間に潤んだ。




 ───────泣くのかッ⁉︎───────




 品の良い美青年が涙を我慢して、小さく震えていた。
 哀しみの美貌は見る者の罪悪感をバッサバサと煽った。元は人の良い鈴子である。例外では無く焦った。

「いやっ、そのっ…迷惑は言い過ぎました。しかし、その、貴方だって恋人くらいいるでしょ?」
「いません」


 どキッパリ。

 ───────ウソだーっ‼︎───────


 身長は180を軽く越えているであろう静馬は、均整のとれたしなやかな身体にブランドスーツをさり気に着こなし、アーモンド型の双眸には意志の強い光が瞬いている。

 義妹の目が“あり得ねえよ、アンちゃん”と疑惑に眇められている。

 だが、嘘ではなかった。
 静馬の中では偶に肉体関係を結ぶだけの数人の“知人”がそのカテゴリーに属しなかっただけだ。

「……今は居なくても、その内出来るでしょうし、したら結婚て運びになるじゃないですか。
 とにかくあたしは恋人レベルでもおじゃま虫なんてヤですし。
 大体、義理の兄妹というだけの赤の他人である貴方と暮らしてたら、こっちこそ、いつ恋人を作れると言うんです?」
「……酷い。せっかく兄妹になれたのに“赤の他人”だなんて────」

 彼の目の前のコーヒーに一粒の雫が落ちて、小さな波紋が生まれた。
「───────ぐ、ま・負けませんよ。あたし、住まいはこっちで探しますから」
「貴女がそんなに頑ななのは、きっとまだ私に打ち解けて戴けていないからですね。
 どうです、手始めにお互いを気さくに呼び合ってみては?─────そうだ!『鈴子さん』より、『リン』と呼ぶのは如何でしょう?私も『お義兄さん』で構いませんから」
「聞いてませんよね?人の話」

 両の掌をテーブルの上でグッと握り、顔を引きつらせた彼女は、ニコニコと微笑む義兄しずまを軽く睨みつけた。

「とんでもありません。私が大事な貴女の話はを聞かないなんて…心外です。
 恋人の話でしたよね?一応これでも婚約者にどうかと数名絞られている方々は居ますが、彼女達と会う時は必ず外出していますし、それで仮住いの方に押し掛けて来られる方については交際自体をお断りしています。現状、問題はありません」
「ですからねー、あ・た・し・の恋愛はどうなるんですかねぇッ⁉︎」

 遂に身を乗り出した鈴子の頭をよしよし、となでながら、
「失礼ながら、現在男性の影が見えないという事ならば、環境を変えてみるのも一つの手ではありませんか?大体、シスコンの義兄が居るだけで尻尾を巻く男なら、こちらの方でお断りですよ」

 その手を鈴子はテーブルに叩き付ける。




「それはーッ、あたしが決める事だあっ‼︎‼︎」







 ☆



「──────あの時の貴女は、顔を真っ赤にしてプンプン怒って。本当に可愛らしかった」

 静馬はクスクスと笑い続ける。

「……やっぱりあたしの貴方についての所見は間違ってなかったンだ。
『何だ、この胡散臭い笑顔のヒト』って思ったんだもん。
 で、貴方の中で何がどうなって、あんなやり取りで感情が恋愛まで発展するのよ‼︎この変人!」

 いつの間に足枷を解いたのか、長い足を立ててストレッチしながら、義妹を繋ぐ鎖を傍に寄せ、再び手錠の鍵穴に針金を差し込んだ。
「私のツボをうっかり突いた貴女が悪い」
「何をうッ⁉︎」
 怒りの鈴子はヘッドバッドの要領で、義兄の胸に強烈な一撃を食らわした。

「ぐ─────まあ、こうなったからには観念して結婚して下さいね」
 けほ、と一頻り咳き込んだ後、義兄は大きく息を吐いてそう言った。

「ヤだ」
「──────リン、流石に私も怒りますよ?」

「漸く認めただけだよ。そこまで覚悟が出来てるもんか。最初はお付き合いして様子見、ってのが定石でしょうが」
 にべも無い鈴子の言葉にくるり、と静馬は体勢を引っ繰り返すと、鈴子を押し倒し、その体重でわざと身動きを封じた。

「逃がしはしません。そんな悠長な事をしていて貴女がまた、うっかり他の誰かのツボを突いてしまったらどうします。
 …言ったでしょう、もう決して離さないと」

 反論を唇で封じて、その気力を根こそぎ奪う。
 あえかな吐息を愛しく感じながら、静馬は端整な顔を再び近付けた。


「何なら今、ここで…何処の誰にも目がいかない身体にして差し上げましょうか」


 月明かりだけが差し込む、二人きりの監禁部屋に不穏な空気が渦巻いていた。



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