あたしとお義兄さん
9.シスコンは拗れると恐ろしい
「……まぁ、なんだ。稀にくらいなら、そーゆー仲もあるかもな」
「稀に、ですか」
まだ静馬は顔を上げない。
「いや……世の中は広いから、探せば……そうだな。海外なんかならしょっちゅうやってるかな。ああ、外国人ならやるだろう」
「日本人は駄目なんですかねぇ…」
見ると、静馬の目が潤んでいた。
昔から子供の様にこの親友は涙を流す。
静馬は信じられない強さを芯に持っているかと思えば、合わせてその心の中に考えられない弱さを内包している。
そのアンバランスが人を惹きつけてやまない。
それは一也とて例外では無かった。
「なあ、親父さんはもう新しい嫁さんを籍に入れたのか?」
「いえ、未だです。あの女性が『工藤』の姓を名乗るのを拒むので、お互いにもう少し慣れた後でも構わないだろう、という話になっている様で」
「何?彼女、反対してんの?」
「いえ、むしろ関心が無いくらいで……『三国』に慣れているし、この先お嫁に行ったらどうせ変わるからと」
バーテンにもう一杯同じ物を頼むと、一也は静馬に向き直った。
「なら、好都合だ。お前、そいつを貰っちまえ」
一拍、間を置いた。
「────────何を言っているんですか?一也」
再び置かれたグラスを弾いて、澄んだ音を鳴らした一也は、はっきりと言った。
「このままでいくとお前、擬似近親相姦でも起こしかねん状態だって分かってないだろう」
「そんな事、私がする筈無いでしょう‼︎」
眉根を寄せ、険しい表情の静馬が思わず声を荒げる。だが、一也は続けた。
「じゃあ聞くが、どんな時お前は彼女を抱きしめたいと思った?そして、抱きしめた時どんな感じがした?」
その問い掛けに静馬は大きく息を吐いて、気を鎮めると視線を彷徨わせる。どうやら思い出している様だ。
「…それは……彼女が私が思っている程に私の事を思ってくれていないと分かった時とか、大きな瞳で嬉しそうに見上げられた時とか、です。
そうですね…抱きしめた感じは柔らかくて、ふかふかしてて、思わず力を入れてしまいそうになります。
気持ち良くって、幸せで…離したく無くなっ───────」
「気付いたか?」
一也の冷静な判断に静馬は愕然とし、医師は親友に対して患者に癌の告知をする心境だった。
「どう聞いても、そりゃ歴とした『恋』の症状だ」
友人の声が固まった静馬の耳に無情に響いた。
「私は、あの女性を…本当に、本当の妹の様に……」
茫然と呟く静馬の形の良い唇を見つめて、一也は大きく溜息を吐いた。
「分かっているさ。最初はそうだったんだろう」
茶髪の親友はもう一つロックグラスを頼むと、それに香り高いブランデーを注いで、内緒話をする様に乱暴に肩を抱いた。
「そこでだ、考えてみような。なんだ、えーとリンちゃんか。お前の話だと、今はフリーらしいが、その彼女に彼氏が出来たとする。
────────お前、どうする?」
「もちろん、祝福しますよ」
即答する静馬に、こめかみを押さえて一也はテーブルにグラスの水滴を掬ってハートの模様を描いた。
「じゃな、想像しろ。どう祝福するつもりだ?
彼女がお前の前でこう言った。『お義兄さん、実は私、恋人が出来たの☆」─────お前、どう答える?」
困惑の表情でそれでも真面目に考えて、静馬は答えを返す。
「…おめでとうございます。良かったですね」
口調とは裏腹に表情は苦悶に満ちていた。
それで祝福しているつもりなのかと、一也は思わず天を仰いだ。
「具体的に言うぞ。お前が電話をしても、『あ、ごめんなさい。今、彼氏の定期コール待ちなの。終わったら、掛け直すわね』と言って、掛かってくるのは二時間後だったりする。
『遅くなってゴメンね。つい話し込んじゃってね。挙句、なんか強引に予定の話に持ってかれてさぁ〜次、いつ逢える?ってしつこいの。
…でね、この前の約束なんだけど、カレの都合でどうしても日曜日しか空かないらしくて……お義兄さん、ゴメン、予定ずらして貰えないかしら?』
─────────と、こうだ、お前どんな気分だ?」
静馬はもう答えられず、蒼白になっている。
僅かに握った拳さえ震えていた。
「逢える日が自然と少なくなって、堪らなくなったお前が、夜、彼女を訪れると、二人分の夕食の買い物を持った男が楽しそうに笑う彼女と仲睦まじく部屋に入っていく。
当然、男の帰りは翌日の朝、だ。──────さあ、お前の取るべき行動は?」
グラスを持たせて、一也は促した。
静馬の黒曜の瞳に物騒な光が閃いた。
「まず、興信所に依頼して、その人物の為人を調べさせ、リンに相応しくない点があるか無いかを吟味します」
「『相応しい点』じゃないんだな」
う、と静馬が詰まる。
「────────んで?」
「…次にリンに対する気持ちを確かめる為に、モデルの友人に頼んで近付いて貰います。
美女の誘惑を振り切っても、あの女性をちゃんと選んで守るだけの分別を持っているか、試す義務が私にはあります」
ねぇよ。
「ふんふん」
「また実際に会って、彼女に対し結婚の意思があるのか、またどのくらいの責任感と愛情を抱いているか、確認の為、試すのが定石ですか」
「どんな立場でどう試すんだ?」
静馬はキリッとした表情でグラスの中身を半分程飲み干す。
「私は彼の恋敵だ、と言って挑発し、リンに対する想いを曝け出させます。
義兄として、義妹の幸せは願ってやまないものですから、半端な男には欠片もやれない。
あの女性ひとは束縛が嫌いな割には、周りに合わせてしまう優柔不断と優しさがありますからね。すぐ、無理をしてしまう。
嫁ぐ先では両親と別居は当たり前です。
リンは過度の贅沢を好みませんが、時間と心の余裕を何より愛する女性ひとですから、それが充分である事が第一です」
お前の脳内では、現状一体何がタラタラと分泌されているんだ?
立て板に水、と残念な持論を堂々と展開する美貌の男に多分可聴範囲内の客全てが戦慄してる。
「だからと言って金銭面でのチェックをしない訳では無いですよ?ある程度は必要ですし。
それに、顔も私よりいい男でなくては駄目です」
いるかよ、そんな男。
一也は黙って煙草のボックスを叩いた。咥えて紫煙を吐き出す。
「親の為人も調査対象ですね。嫁いびりなどされては堪りませんから。
もちろん、そんな事をされたが最後、即刻別れて戴いて私の下に連れ戻しますけれど」
…『私』の下に、ねぇ。
語りながら熱が入ってきた静馬は、そんな相棒の脱力ぶりにも気付かない。
「……まぁ、なんだ。稀にくらいなら、そーゆー仲もあるかもな」
「稀に、ですか」
まだ静馬は顔を上げない。
「いや……世の中は広いから、探せば……そうだな。海外なんかならしょっちゅうやってるかな。ああ、外国人ならやるだろう」
「日本人は駄目なんですかねぇ…」
見ると、静馬の目が潤んでいた。
昔から子供の様にこの親友は涙を流す。
静馬は信じられない強さを芯に持っているかと思えば、合わせてその心の中に考えられない弱さを内包している。
そのアンバランスが人を惹きつけてやまない。
それは一也とて例外では無かった。
「なあ、親父さんはもう新しい嫁さんを籍に入れたのか?」
「いえ、未だです。あの女性が『工藤』の姓を名乗るのを拒むので、お互いにもう少し慣れた後でも構わないだろう、という話になっている様で」
「何?彼女、反対してんの?」
「いえ、むしろ関心が無いくらいで……『三国』に慣れているし、この先お嫁に行ったらどうせ変わるからと」
バーテンにもう一杯同じ物を頼むと、一也は静馬に向き直った。
「なら、好都合だ。お前、そいつを貰っちまえ」
一拍、間を置いた。
「────────何を言っているんですか?一也」
再び置かれたグラスを弾いて、澄んだ音を鳴らした一也は、はっきりと言った。
「このままでいくとお前、擬似近親相姦でも起こしかねん状態だって分かってないだろう」
「そんな事、私がする筈無いでしょう‼︎」
眉根を寄せ、険しい表情の静馬が思わず声を荒げる。だが、一也は続けた。
「じゃあ聞くが、どんな時お前は彼女を抱きしめたいと思った?そして、抱きしめた時どんな感じがした?」
その問い掛けに静馬は大きく息を吐いて、気を鎮めると視線を彷徨わせる。どうやら思い出している様だ。
「…それは……彼女が私が思っている程に私の事を思ってくれていないと分かった時とか、大きな瞳で嬉しそうに見上げられた時とか、です。
そうですね…抱きしめた感じは柔らかくて、ふかふかしてて、思わず力を入れてしまいそうになります。
気持ち良くって、幸せで…離したく無くなっ───────」
「気付いたか?」
一也の冷静な判断に静馬は愕然とし、医師は親友に対して患者に癌の告知をする心境だった。
「どう聞いても、そりゃ歴とした『恋』の症状だ」
友人の声が固まった静馬の耳に無情に響いた。
「私は、あの女性を…本当に、本当の妹の様に……」
茫然と呟く静馬の形の良い唇を見つめて、一也は大きく溜息を吐いた。
「分かっているさ。最初はそうだったんだろう」
茶髪の親友はもう一つロックグラスを頼むと、それに香り高いブランデーを注いで、内緒話をする様に乱暴に肩を抱いた。
「そこでだ、考えてみような。なんだ、えーとリンちゃんか。お前の話だと、今はフリーらしいが、その彼女に彼氏が出来たとする。
────────お前、どうする?」
「もちろん、祝福しますよ」
即答する静馬に、こめかみを押さえて一也はテーブルにグラスの水滴を掬ってハートの模様を描いた。
「じゃな、想像しろ。どう祝福するつもりだ?
彼女がお前の前でこう言った。『お義兄さん、実は私、恋人が出来たの☆」─────お前、どう答える?」
困惑の表情でそれでも真面目に考えて、静馬は答えを返す。
「…おめでとうございます。良かったですね」
口調とは裏腹に表情は苦悶に満ちていた。
それで祝福しているつもりなのかと、一也は思わず天を仰いだ。
「具体的に言うぞ。お前が電話をしても、『あ、ごめんなさい。今、彼氏の定期コール待ちなの。終わったら、掛け直すわね』と言って、掛かってくるのは二時間後だったりする。
『遅くなってゴメンね。つい話し込んじゃってね。挙句、なんか強引に予定の話に持ってかれてさぁ〜次、いつ逢える?ってしつこいの。
…でね、この前の約束なんだけど、カレの都合でどうしても日曜日しか空かないらしくて……お義兄さん、ゴメン、予定ずらして貰えないかしら?』
─────────と、こうだ、お前どんな気分だ?」
静馬はもう答えられず、蒼白になっている。
僅かに握った拳さえ震えていた。
「逢える日が自然と少なくなって、堪らなくなったお前が、夜、彼女を訪れると、二人分の夕食の買い物を持った男が楽しそうに笑う彼女と仲睦まじく部屋に入っていく。
当然、男の帰りは翌日の朝、だ。──────さあ、お前の取るべき行動は?」
グラスを持たせて、一也は促した。
静馬の黒曜の瞳に物騒な光が閃いた。
「まず、興信所に依頼して、その人物の為人を調べさせ、リンに相応しくない点があるか無いかを吟味します」
「『相応しい点』じゃないんだな」
う、と静馬が詰まる。
「────────んで?」
「…次にリンに対する気持ちを確かめる為に、モデルの友人に頼んで近付いて貰います。
美女の誘惑を振り切っても、あの女性をちゃんと選んで守るだけの分別を持っているか、試す義務が私にはあります」
ねぇよ。
「ふんふん」
「また実際に会って、彼女に対し結婚の意思があるのか、またどのくらいの責任感と愛情を抱いているか、確認の為、試すのが定石ですか」
「どんな立場でどう試すんだ?」
静馬はキリッとした表情でグラスの中身を半分程飲み干す。
「私は彼の恋敵だ、と言って挑発し、リンに対する想いを曝け出させます。
義兄として、義妹の幸せは願ってやまないものですから、半端な男には欠片もやれない。
あの女性ひとは束縛が嫌いな割には、周りに合わせてしまう優柔不断と優しさがありますからね。すぐ、無理をしてしまう。
嫁ぐ先では両親と別居は当たり前です。
リンは過度の贅沢を好みませんが、時間と心の余裕を何より愛する女性ひとですから、それが充分である事が第一です」
お前の脳内では、現状一体何がタラタラと分泌されているんだ?
立て板に水、と残念な持論を堂々と展開する美貌の男に多分可聴範囲内の客全てが戦慄してる。
「だからと言って金銭面でのチェックをしない訳では無いですよ?ある程度は必要ですし。
それに、顔も私よりいい男でなくては駄目です」
いるかよ、そんな男。
一也は黙って煙草のボックスを叩いた。咥えて紫煙を吐き出す。
「親の為人も調査対象ですね。嫁いびりなどされては堪りませんから。
もちろん、そんな事をされたが最後、即刻別れて戴いて私の下に連れ戻しますけれど」
…『私』の下に、ねぇ。
語りながら熱が入ってきた静馬は、そんな相棒の脱力ぶりにも気付かない。