眠れぬ王子の恋する場所
「ほっぺ殴られたんだって? 大丈夫か?」
弾んで聞こえる声は、楽しんでいるようにしか思えず、眉を潜めて社長を見る。
茶色い髪を軽く後ろに流している社長は、強面だ。ガッチリしている体型も手伝って、その筋の人にしか見えない。
いくら眼鏡をかけていたって無駄な抵抗だと思うんだけど、本人いわく、眼鏡があったほうがまだ人相が柔らかく見えるらしい。
『いつもは俺見ると逃げる近所の猫が、眼鏡かけたら逃げなかったから』という理由に、耐え切れず笑ってしまったのは、四ヶ月前のことだ。
「結構な衝撃でした。爪が長い人じゃなくてよかったです」
「あー、爪長い女に引っぱたかれると、下手するとひっかき傷できるもんなぁ。あれ、地味に痛いんだよなー」
身に覚えがあるような苦笑いをこぼす社長に、そういえば、と思い出す。
「社長、こないだつけてましたもんね。ほっぺにひっかき傷」
「あれは、猫にやられたヤツ。調子に乗って撫でようとしたらすげー勢いで引っ掻いて逃げてった。まったく、猫は気性が荒いよな」
そんなことを言いながらも、傷のあったあたりを指先で撫でる社長の顔は笑っている。
こんなに猫好きなのに怖がられちゃって可哀想だな、と思いながら「眼鏡意味ないじゃないですか」と失笑した。
「俺、生まれ変わったら猫に警戒されないようなじいさんになりたいわ」
「たぶん、生まれ変わらなくてもそのうちなれますよ」
バッグのなかをゴソゴソと探っていると、「で、気性の荒い彼女は無事別れてくれたか?」と返ってきたから、社長のデスクの前に立ち、依頼人から受け取った封筒を差し出した。
「たぶん。プライドが高そうだったので、そこをくすぐるようなことを言ったら〝いらない〟って怒鳴って帰っていきました。
落ち着いたあと、またヨリを戻したいとか言ってきたりしないか、ちょっと心配ですけど」