カタブツ皇帝陛下は新妻への過保護がとまらない【番外編】

側近に命じながら自らも支度を整えるため自室に急ぐ皇帝の姿を、エルヴィンもアルバンも目をまん丸くしながら見つめる。こんな事態は初めてだ。厳格で真面目な皇帝が、私用とも言えることでスケジュールを急きょ変更するなど、今までなかった。

「に、兄さん。まさか今からユーパリアに行くのかい? 他の公務はまだしも、五日後には連邦国代表との来日会議があるんだよ。さすがに欠席する訳には……」

慌ててリュディガーを追いかけたエルヴィンがそう言うと、彼は足を緩めないまま答えた。

「会議までには必ず戻る。他の公務は帰国後に調整しろと大臣たちに伝えておけ」

エルヴィンは足を止めて唖然とした。こんな皇帝の、いや、兄の姿は見たことがない。

子供の頃からリュディガーは決して我欲を通す男ではなかった。それどころか彼が人間らしい欲求やわがままを口にする姿すら、一度も目にしたことはない。

列柱廊の奥へと消えていくリュディガーの背中を見ながら、エルヴィンは呆然としたまま「……なあんだ」と呟いた。

「兄さんってば、モニカに恋してたんだ」

峻厳なはずの皇帝がすべてを後回しにするのも厭わずチェルシオに向かうと宣言したとき、彼の瞳に浮かんでいたのはただひとつ、恋の情熱の炎だ。遠い国にいる婚約者のことしか、その翠眼には映っていない。エルヴィンはようやくそれに気付いた。

ひとり残された広い廊下で、エルヴィンは肩を竦めクスリと小さく笑う。

「それならそうと言えばいいのに。……これで安心して、失恋出来る」

いつも朗らかに微笑んでいる顔に彼は刹那、切なさを浮かべた。

けれどすぐにいつも通りの明るさを取り戻すと踵を返し、慌てふためいている宮廷の大臣たちに、リュディガーが戻るまでの間、自分が皇帝代理の公務を担うと伝えた。


 
< 12 / 32 >

この作品をシェア

pagetop