【仮面の騎士王】
 ゴロゴロという音が遠くで聞こえる。雷が足早に立ち去ると、雨音もいくぶん小さくなった。


 ふと、ぬくもりの中に、規則正しい心臓の音を感じて、ケイトリンははっとした。それは、自分の鼓動ではない。両の手の平で自分を拘束している壁にそっと触れてみる。厚い胸板にたくましい二の腕。


 正気に戻った彼女の心臓が、今度は別の意味で急にバクバクと打ちつけ始めた。いつの間にか、自分が誰かの胸に顔をうずめていると知り、ケイトリンは身じろいだ。


「落ち着いたか?」


 ケイトリンの頭上から降ってきた低い声は、もちろんマノンのものではない。そして、予想通り、ケイトリンの父のものでも兄のものでもなかった。


「あ、あの。すみません私。ひどく取り乱して。雷が苦手なので」


 ケイトリンはゆっくりと顔を上げた。しかし、かなりの至近距離にいるはずの男の顔は、暗闇に溶け込んでいてほとんど見えなかった。


「そのようだな。だが、だからといって、君のような令嬢が簡単に見知らぬ男に抱きつくのは良くない」


「はい。申し訳ございません・・」


 自分の部屋に勝手に入り込んだ男の、しかも家族以外の男性とまともに会話したこともない自分を、同意もなしに抱きしめた男の台詞であるにも関わらず、ケイトリンは素直に謝ってしまった。


(私ったら、どうして謝ったりしたのかしら。それに誰ともわからない男性と簡単に言葉を交わすなんて、はしたないことだわ)


 ケイトリンは、自分の軽率な行動を恥じた。19年間、外界の悪意とかけ離れた屋敷の奥で育てられてきた彼女にとって、紹介されてもいない男性と言葉を交わすなど、ありえないことだった。


 第一、ミルド国の王太子に嫁ぐことが決まった自分が、見知らぬ男と部屋でふたりきりでいるなど、誰かに知られればただではすむまい。



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