MAYBE TOMORROW
第四章 コンドルは飛んで行く
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」
学校で習ったこの文章をわたしは長い間、理解することが出来なかった。
じゃあ、今ならわかるの?と訊かれればやはりわからない、
と答えるしかない。
でも、ただひとついえることは、わかるわからない、ではない何か別のもの、
そう、理解ではなくからだに浸み込んできた、
そんな感覚はおぼろげに感じるのである。
何というべきか、この数百年前の銘文がわたしのなかに、
十分な時を経てじわじわと、徐々に、そして実にゆっくりと
こころを染めあげていくように彩づけされていったのだ。
でもそれはかなしみとともに、というべきであったのか。
そんな気もする。
学校で習ったこの文章をわたしは長い間、理解することが出来なかった。
じゃあ、今ならわかるの?と訊かれればやはりわからない、
と答えるしかない。
でも、ただひとついえることは、わかるわからない、ではない何か別のもの、
そう、理解ではなくからだに浸み込んできた、
そんな感覚はおぼろげに感じるのである。
何というべきか、この数百年前の銘文がわたしのなかに、
十分な時を経てじわじわと、徐々に、そして実にゆっくりと
こころを染めあげていくように彩づけされていったのだ。
でもそれはかなしみとともに、というべきであったのか。
そんな気もする。