先輩、一億円で私と付き合って下さい!

 まともに見た父の顔は、患者と向き合う医者の顔つきに見えた。
 色々な病気に携わり、数えきれない患者を診てきたのだろうという、しっかり見据える眼差しが俺にも向けられている。

 医者としては立派なものを感じながらも、そこに家庭的ではない男のだらしなさも浮かび上がって、俺はやっぱり嫌悪感を抱き、顔が強張った。

「嶺は将来をどのように考えているんだ」
「具体的には特に何も。ただ、母を助けて今よりも楽な暮らしになればとは思ってます」

「そっか」
 父は小鉢に箸をつけ、それを口に運んで咀嚼してからまた話し出す。

「未那子──は、苦労してるのか」
「女が働きながら一人で子供を育てる事がどういうものか…… 普通、想像つくかと思いますが」

「そうだな。すまなかった。私はどうも想像力を働かせられないらしい」

 馬鹿な質問をしたと思ったのだろう。
 箸をおいて、俯き加減になっていた。

「母はそういうのを感じないように、仕事にやりがいを持って前向きに働いてますけど」
「未那子はしっかりもので、完璧になんでも一人でこなそうとする努力家だった。そこに惚れたものだったが、一緒に暮らせばそれが息苦しくもあった」

 最初はよく見えても、後になると全く正反対に思ってしまう。
 男女間ではよくあることだ。

 だがそれを息子の俺が聞かされるのは、耳障りなものがある。
 それでも父はやめなかった。

「すでにわかってることだから隠す必要もないけど、離婚の原因は私の浮気だ。言い訳するつもりもないが、あの時は家庭に戻っても息苦しくて、逃げ道を求めてしまった。そこに子供がすぐにできなかったことも一因して、上手く行かない事に未那子もイライラが募っていたと思う。何もかも完璧にこなさないと気が済まない性分だから、頑固なところもあった。仕事で疲れて帰ってきてほっとできなくなると、私は逃げてしまった」

「よくある展開ですね」
 他人事のように俺が口を挟むと、父ははっとして顔を上げた。
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