先輩、一億円で私と付き合って下さい!

 滅多に人が来ない静かな校舎の一角で、俺は女の子を抱きしめている。

 冷静になって考えてみれば、この俺がこんなことをするなんて珍しさを通り過ぎて、気でも狂ったかもしれない。

 ネジが飛んでおかしくなったとしても、一度壊れて何かが変わった後では、このまま突き進んでみたくなる。

 いつもギスギスとして、人を遠ざける事しか考えていなかったから、自ら優しく気遣う事は、自分自身も新鮮だった。

 それが妙に心地よい感情をもたらすから、禁断の果実を味わう背徳感も芽生えて困ったものだった。

 抱きしめてるとは言っても、実際遠慮がちに、自分の腕を彼女の背中に添える感じで、あくまでもソフトに紳士的に振る舞っているつもりだ。

 そうじゃないと、ノゾミは見た目通りにか細く、俺が力を入れれば、ポキッと折れてしまいそうだった。

「お前さ、もう少し太った方がいいぞ」
「えっ」

 つい口から洩れてしまった俺の指摘に我に返り、ノゾミは慌てて俺から離れて、顔を赤くして俯き加減になっていた。

「す、すみません」

「何を謝っている。気にするな。そんなにおどおどされるのは困る。俺はお前の彼氏になったんだから、お前も俺の彼女として堂々と振る舞え。そうじゃないと付き合ってる意味ないだろうが」

「あの、その、私、男の人と付き合った事がなくて」
「俺も付き合った事はない」

「えっ?」
「だから、お前と同じように『男と』という意味じゃないぞ」

「それは、わかってます。でも女性と付き合った事がない?」

「そうだ。そういうの面倒臭くて興味がなかったからな。ということは、お互い初心者ってことだな。そして期限付きか。こうなったら時間も限られてるし、有意義に付き合うべきだな。それから一億円だけど……」

 俺が一億円の事を持ち出したら、ノゾミはすぐさま遮った。

「それは、必ずお支払します。それまで待って下さい」

「あのさ、一億円っていったら、重さ約10キロもあるんだぞ。気軽に持ち運べるものでもないし、身近に用意できるものでもない。俺が本気でそれを期待してると思うか?」

「でも、その条件で私と付き合うって言ってくれたし」

「だからそれは、あまりにもスケールがでかい話でびっくりして却って興味が湧いたんだ。それは俺の興味を惹き付けるきっかけにはなったが、少なくともお前にも興味を持ったって事でもある」

「私にも?」

「そう、なんだか不思議で、好奇心が疼いた。それに昨日もそうだが、俺をエレベーターに押し込めて帰って行っただろ。俺に対してあんなことする女もいなかったし、お前の一つ一つの行動が不可解で、いちいち気に障って、それが余計に気になって仕方がない」

「そ、それは」
「何か理由があるのか?」

 俺がそれを求めた時、ノゾミは追い詰められたように体を強張らした。
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