ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
叩かれてしまった。
痛いよと言えば、ごめんごめん、とこれまた適当な返事が返って来るものだから、頬を膨らませて顔を背けた。
誘拐犯さんが気づいているのか分からないけど、その適当さは嫌ではなかった。むしろ心地いいとさえ思えてしまう、それだけの温かさを含んだ声だった。

暫くすれば誘拐犯さんのクスクスと笑う声が聞こえて、楽し気に揺れる肩が可笑しくって私も一緒に笑う。


夕食を食べ終われば二人並んでソファに腰を下ろして、テレビのリモコンを手に取った。


「誘拐犯さん、何見る?あ、ニュース見る?うふふ、誘拐犯さん、指名手配されてるかもね!」

「だから誘拐犯じゃない。これは誘拐じゃなくって人助け」


お得意のブラックジョークに不愛想な声で返される。
とはいえ、一応大家さんに連絡はしているし、そもそも心配する人などいないから大丈夫なのだけれど。

ちらりと横顔を窺うも、誘拐犯さんはテレビに視線を向けてくるくるとチャンネルを変えていた。
暫くして、面白い番組が無かったのかプツンと電源を切ると、今私の視線に気が付いたというように、ふっと私と目を合わせた。


最初も思ったけれど、この人は本当に綺麗な顔をしていると思う。

少しだけ茶色がかった瞳。
長い睫毛。
会ったときも印象的だった目許の泣きぼくろ。

笑うと柔らかいくなる目許。



「……ほら、そろそろ寝よう。俺明日も仕事だから」

「…はーい」


すぐに目を逸らしてから、誘拐犯さんが言った。そのままソファに横になる。
どうやら今日も、私にふかふかのベットを譲ってくれるらしい。
どこまでお人好しなのだろうかと首を傾げてしまうくらい、この人は優しい。

「ねえ、ソファだと、体痛くならない?」

「ならない」

「嘘。なるでしょ」

「大丈夫だから。…ほら、子供はさっさと寝なさい」



幼子をあやす様な手付きで頭を撫でられ、私は渋々布団に入る。


まだ慣れないシーツの硬さに身を委ねて、肩まで布団をかぶってから瞼を下ろす。
やっぱり誘拐犯さんの匂いには、睡眠薬みたいな効果があると思う。


あのよく分からない苦しい感情を今日も迎えずに、誘拐犯さんの息遣いにそっと耳を澄ませていた。

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