ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら

私は昔から人と話すのが得意な方ではなかった。
どちらかといえば、教室の隅で本を読んでいるような子供だったと思う。

それが、両親がある日突然死んで、変わった。
本当に突然だった。交通事故。

「おとう、さん…?お母さん…ねぇ、ねぇ、」


起きてよ。

そう言って縋って泣けるほど、私は頭の整理がついていなかった。
冷たい病室で、温かかったはずの両親の頬に触れては、何も分からぬまま。



きっと自分が世界で一番偉いと勘違いをしてクラクションを掻き鳴らすような馬鹿が轢いたのだと、私の、大切な人を消したのだと、通る車をすべて憎んだ。

葬儀に来た人たちは私に同情の声と視線を向け、無責任に可哀想な子だと噂した。
唯一面識のあった親戚たちは、相談をするふりをして私を遠巻きに見ていた。

叔母が言った。

「心配しないで。私が良い施設を探すから」

叔父が言った。

「君はもう高校せいだ。一人で暮らせるだろう」


父と母とは正反対に、いや、もしかするととてもよく似ているのかもいれないその人たちは、とてもとても無責任で、そしてとても頭のいい人達。

どこまでも自分の気持ちに正直に生きる、とても素直な人達。



泣けば今以上にひとりになること、それは明確だった。




お父さん、お母さん。たったそれだけの大切な人を失って、私は途方にくれていたのだ。



___笑いなさい。笑顔でいなさい。



母の口癖を思い出して、笑顔でいるべきなのは今だと思った。母の言うことを聞いていればきっとなるようになると、親離れできない思考回路がそう悟った。

笑って大丈夫ですと言えば、周りはほっと息を吐く。
その安堵の息は、私へでなく、きっと自分にとって面倒なことが無くなったから。



__「大丈夫ですよ、ありがとうございます」


__「元気ですよ、ありがとうございます」



けれど、そんな言葉を繰り返すたびに、父と母が遠くなる気がした。
作り笑いしかできなくなっていく自分が、とてつもなく怖くなった。

少しずつ、少しずつ遠のいていく幸せだった日々。
きっと幸せはいつか消えて、そして離れていく。



高校生になったばかりだった私は、幸福を恐れた。

だから、あの2週間も、ずっとずっとこわかった。

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