ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
空は暗かった。
都会に浮かぶ遠い、遠い星。
春を過ぎた空は前より少しだけ近くなった気がする。
誘拐犯さんの家からはもっとたくさん見えたな。そんなことを思いながら、とぼとぼと空地へ向かう。
「……誘拐犯さん」
車はもう停まっていて、私が近づけば窓が開いた。
煙草の匂いが微かに鼻腔を擽る。誘拐犯さんが煙草を吸っている姿は見たことがなかったから、私が来てから吸わないようにしてくれていたのかなと、きちんと思ってくれていた事実に鼻の奥がツンとする。
誘拐犯さんの顔。変わらない。私のあんな話を聞いた後でも、変わらない。
「ほら、さっさと乗りな」
誘拐犯さんが助手席を指差す。
私が俯いて渋っていると、誘拐犯さんの手が頭に乗った。そのまま頬へ降りて、包み込む。
「こわくないよ」
それはまるで本当に誘拐するときの決まり文句のようだと思った。
顔を上げれば誘拐犯さんが目を細める。
こんなお兄さんなら、誘拐されても平気だな。一度自分からついて行った身でそんな生意気なことを思う。口に出せば、誘拐犯さんは知らない顔するのだろうけど。
「君が幸せになるのをこわくないって思えるまで、そばにいる。……帰ろう」
もっとゆって。もっと、全部ゆって。
それはいつの日にか終わる、とても甘い、あまい約束。
しかし不思議なもので、この人がこわくないと言えば本当にこわくないような、そんな気がした。帰る場所があるような、そんな気になれた。
頷く以外の選択肢を、私は持っていない。
迷子の子供のように頷けば、誘拐犯さんが小さく笑った。