ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら
「誘拐犯さんと散歩って、響きがちょっと危ないよね!」


外に出て一発目の発言に、私は強烈なデコピンを食らう。
やっぱり何度喰らっても強烈で慣れることはないようで、涙目になりながら額を押さえた。


「誘拐犯さんって、いつまで呼ぶつもり?ていうか、何度も言うけど誘拐じゃないし」

「じゃあ、名前は?わっちゅあねーむ、ぷりーず?」


東京とは思えないような静かな細い道を歩きながら、思いついたように尋ねた。
そういえばお互いに、名前を知らないままだった。名前を知らないまま一緒に暮らしていたと思うと何だか可笑しい。


「…名前は知らなくていいよ」

「じゃあ呼びようがないから、やっぱり誘拐犯さんって呼ぶね」

「まぁ、しょうがないね」

「ね、しょうがない」


何となく予想はしていたけれど、やっぱり名前は教えてくれなかった。
何か知られたくない理由があるのかなとも思うけど、特に深入りしない方がいいと判断しいつもの調子で返した。ここで「君の名前は?」とは言わない誘拐犯さんは、やっぱり不思議な人だとつくづく思う。
といっても、誘拐犯さんから見れば、私も相当可笑しな奴だとは思うけれど。


「あー…やっぱり、桜駄目だね。完全に緑だ」


話しているうちに細い道を抜け、公園沿いに出た。
立派な木が並び立つその様子だと、きっともう少し早く来ていれば圧倒的な桜並木と幻想的な桜吹雪が見れたのだろうけど、残念だとは感じなかった。
最初から期待をしていなかった私たちは、特に足を止めることなく、桜のトンネルならぬ緑のトンネルの中を進む。
葉の隙間から零れる木漏れ日が地面に落ち、桜など咲いていなくとも十分に幻想的だ。


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