ひだまりのようなその形に幸福論と名前をつけたなら


クリーム色のアパートの2階。
私が暮らす部屋よりも広く、綺麗すぎず、かと言って散らかっている訳でもない生活感溢れる部屋。
座り心地の良さそうなソファや、使われている様子はないがある程度の広さがあるキッチン。暮らしやすそうなその部屋は、私の目にとても魅力的に映った。


私の迷惑極まりないその場のテンションだけでのお願いも困った顔で許してしまえる寛大な心を持ったお兄さんに、家族のいない私は迷いなくついてきたのだった。

何も聞かず何も言わず、ただ私が困っていることだけは察して連れて来てくれた心優しい人。
世の中にはまだこんなお人好しもいて、運命的にもこんな素敵な出逢いが私に訪れるとは。まだ私の人生捨てたもんじゃないな。

そんなことを生意気に考えつつ、ちらりとお兄さんを見た。


「…それで、誘拐犯のお兄さん。私を部屋に連れ込んで、一体どうするつもりー?」

「別になんもしねーよ。ていうか、誘拐犯じゃないから。君が連れてってくれって言ったんでしょう」


腕時計を外しながら、ちらりとも此方を見ずに言う誘拐犯さん。
その言いぶりからは始めと同様、変な欲は何も感じられなかった。
さっぱりとした距離感と物言い、綺麗な見た目ではあるけれど中身は意外と江戸っ子気質なのか。


誘拐犯さんはキッチンへ向かうと冷蔵庫を開けて、缶ビールを取り出した。コンビニ袋からお弁当とおつまみを出して、此方に向かってきた。


「…誘拐犯さん、いっつもコンビニ弁当?」

「まぁ大体は。…ああそうだ、君も食べる?」


割り箸を綺麗に割った誘拐犯さんは、私を見て首を傾げた。
よく見るようなお弁当。ご飯の上に硬そうな梅干しがのっている。


考えていると、どうやら腹の虫は居心地が悪かったようで、盛大に大きく鳴いた。


「……食べる」


いらないよ。そう言おうとしていたのに、台無しである。
何となく恥ずかしかったので俯いて小さく答えれば、誘拐犯さんは可笑しそうに笑いを零して、もうひとつ、コンビニ弁当を取り出した。


「明日の分だったんだけど、食べな」


きちんとお礼を告げて、誘拐犯さんに向き合って割り箸を割った。
誘拐犯さんのように割り箸は綺麗に割れず、ささくれがちくりと痛い。

2人何も喋らぬまま、壁にかかった時計の秒針と、咀嚼音だけが耳に残る。それでも気まずいということは不思議と無く、寧ろ部屋にひとりでいるときよりも気楽なのではないかと思えた。



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